『大日本史料』 6編 11 貞和3年12月~貞和4年10月 p.881

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後菊池に入御ありて、直に筑後に御發向あるへきに付、馳參るへく仰下さ, れしにも參らさりし上に、穴川の合戰にも餘所の事のことくにして御後, 寄來るへき勢なりしかとも、是も近國の御方を語らひ、大勢になりて寄せ, また道猷か御在所を襲はんとしたりしにも參らさりしを思へは、去年の, 見參可披此間御不審なと、樣々とすかしこしらへられたるき、いかれるよ, んとて、其事に隙取て、今日まても延引して寄來らさりしなるへし、さて此, 状に、惟澄か事を他人に不思なと、事々しく佛天に誓ひて申されし上に、入, 惟時に與せすして、日夜東西に馳廻りて忠戰をつくしたりしかとも、いか, 詰にも參らす、其後重て筑後御發向の御觸ありて、度々可參よし被仰下、今, 御迎に馳參すへき事なるに、惟時と同樣に御迎に參りたる事も聞えす、其, 猶おもふに、惟時か謀叛したりし後は、菊池八代の外は、阿曾にて惟澄一人, れるよしにか、宮の當國に入御ありし初より、宇土に著御のをりも、一番に, しにてありしにや、いと〳〵心得かたき時のさたにてありしなり、されは, 九月に最初よりの忠戰の次第を注進し、闕所地を所望申たりしかとも、つ, 〔征西將軍宮譜〕七近日頼元父子よりの催促状には、道獸今日明日にも, 惟澄ノ來, 會セザル, コト二ツ, キテノ考, 南朝正平三年北朝貞和四年十月四日, 八八一

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  • 惟澄ノ來
  • 會セザル
  • コト二ツ
  • キテノ考

  • 南朝正平三年北朝貞和四年十月四日

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  • 八八一

注記 (21)

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