『大日本史料』 6編 13 貞和5年11月~観応元年11月 p.608

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固是倭文之尤者也、, 示諭、而艶簡染筆乎、信一生之過錯也、可〓惜焉、吁徒然之草、乃華人筆談隨, 筆之類也、所謂燈下獨坐、讀古書友古人、彼固知讀書之樂也、四書五經、既估, 兼好, 且暇日作倭語草子、號徒然草、其憤世俗、觀生死、感時序、摸風景、説人情、抒私見, 畢焉、又喜老莊、又愛蕭選白集、而本朝之編簡多渉獵焉、披徒然草而了然、羅, 山子往歳爲之抄解、號曰野槌、栞行于世、傳布桑域、, 亦在倭歌四天王之列、今宜以四傑四才子更稱之而可也、何其不辭師直之, 入寂す、年六十八, 贊曰、竺籍之播布于扶桑也、故毎事用其語者多矣、四天王亦是也、, 〔南山巡狩録〕セ二月十八日、兼好法師伊賀國國見山の麓奈保村に於て, アリ, 好の傳に、園太暦を多く引たり、其中に當月伊賀國にて兼, ○中, ヽ{、碑文より推考、僧支考、柏崎永以、土肥經平等わ書たりし〓, 略、, いふ、是を園太暦に見合するに事跡なし、元より園太暦は闕本なれは、全本, 申といへとも、無常の門はのろ〓難しとて、藥を服をす、彼米は里人〓わ, を盡す、兼好も程なく寂しけ〓は、ニ月廿七日北朝はり權膾都〓贈ら, 見さしめ、また米三十石を賜り、病用をたすけらる、兼好朝恩深き事は謝し, 好法師病にかゝるよし、京師に聞えしのは、典藥頭和氣精元下れ、病を, なのたふ、二條良基は殊に契り深ありし故、忍ひて伊賀國に來り、永訣の情, には此事裁載せしにや知らす、又彼兼好の傳の中に、奈保村墓には卒〓る, 〓を二月十五日と記す、五は八の字の損をしより見誤れるにや、又高野山, とと八せな〓り〓ふ太考, 別丈當墓本都來ハ深舍伊っ, 載勢比〓保ハ權國彼朝清當平, 地ニツキ, 兼好ノ歿, 日及ビ其, テノ異説, 牌二ハ四, 藏スル位, 月八日ト, 高野山ニ, 四位ニ, 南朝正平五年北朝觀應元年四月八日, 六〇八

割注

  • 好の傳に、園太暦を多く引たり、其中に當月伊賀國にて兼
  • ○中
  • ヽ{、碑文より推考、僧支考、柏崎永以、土肥經平等わ書たりし〓
  • 略、
  • いふ、是を園太暦に見合するに事跡なし、元より園太暦は闕本なれは、全本
  • 申といへとも、無常の門はのろ〓難しとて、藥を服をす、彼米は里人〓わ
  • を盡す、兼好も程なく寂しけ〓は、ニ月廿七日北朝はり權膾都〓贈ら
  • 見さしめ、また米三十石を賜り、病用をたすけらる、兼好朝恩深き事は謝し
  • 好法師病にかゝるよし、京師に聞えしのは、典藥頭和氣精元下れ、病を
  • なのたふ、二條良基は殊に契り深ありし故、忍ひて伊賀國に來り、永訣の情
  • には此事裁載せしにや知らす、又彼兼好の傳の中に、奈保村墓には卒〓る
  • 〓を二月十五日と記す、五は八の字の損をしより見誤れるにや、又高野山
  • とと八せな〓り〓ふ太考
  • 別丈當墓本都來ハ深舍伊っ
  • 載勢比〓保ハ權國彼朝清當平

頭注

  • 地ニツキ
  • 兼好ノ歿
  • 日及ビ其
  • テノ異説
  • 牌二ハ四
  • 藏スル位
  • 月八日ト
  • 高野山ニ
  • 四位ニ

  • 南朝正平五年北朝觀應元年四月八日

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  • 六〇八

注記 (38)

  • 1677,666,57,564固是倭文之尤者也、
  • 1327,735,73,2148示諭、而艶簡染筆乎、信一生之過錯也、可〓惜焉、吁徒然之草、乃華人筆談隨
  • 1211,736,69,2144筆之類也、所謂燈下獨坐、讀古書友古人、彼固知讀書之樂也、四書五經、既估
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  • 1094,736,69,2148畢焉、又喜老莊、又愛蕭選白集、而本朝之編簡多渉獵焉、披徒然草而了然、羅
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