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雙岡にて書て、下卷は延元に國見山の庵に移りて書しにそ、下卷の始の詞, しことも又明なり、此兼好法師は、正中元年に後宇多院の崩御の時出家せ, 内裡と書たり、此内裡建武三年正月に燒亡せしかは、此上卷は建武三年よ, 年五月に大納言に補任有し人なれは、此下卷は建武三年の夏より後に書, ひしは、延元三年にあたるなり、さらはつれ〳〵草の上卷は、建武に吉田并, 國見山の麓に庵を結, しと徹書記物語にみへ、扨出家して東國をめくりて京へ歸り、吉田并雙岡, り以前に書たる明なり、又同下卷に、藤公明卿を大納言といふ、是は建武三, にすみ、既に十五年を經て、再ひ伊賀國へ行しよしは、園太暦にみえたれは, 〔春湊浪話〕下徒然草、つれ〳く草上卷に、冷泉万里小路の内裡を今の, 如と祗嚴とのを師, ○コノ園太暦ハ、兼好法師考ト部兼好傳等二引用〓, ル僞文ナリ、本書之ニ據リテ説ヲナセルハ誤レリ、, ならは、徒然草は兼好法師の自著にはあらす、妙松丸か書しもの, 本書に引用して不用の事多け是は〓筆せり、もし三光院内府の説の如く, 師つ雜談抄、美濃の僧支考か兼好法師の考、柏崎永以か兼好考なと有とも, 詠し、終焉は眠か如く、云事もなくと申た〓け〓は、次の日より府の莊嚴〓, にて、めてたき佛事なと執行しけるといふ、其餘三光院殿の崑玉集、宗祇土, に、ありとたに人にしら〓ぬ身のほとやみそつにちつな明あたの月、と打, なり、妙松丸は命松丸とも書けり、委くは其書に就て尋ぬへし, 〓しに、今川了俊其際の事なと問申されけれは、兼好身まありなん前の月, 終の事を載ひり、此妙松丸は駿河の今川か舘に至り、兼好か臨終の事を語, ズヽ瞼又妙松丸か書た〓しといふ、末のいとなみと題せし文に、兼好法師臨, 脱稿年月, ノ徒然草, 土肥經平, ニツキテ, ノ考, なみトイ, フ書, 末のいと, 南朝正平五年北朝觀應元年四月八日, 六〇九
割注
- ○コノ園太暦ハ、兼好法師考ト部兼好傳等二引用〓
- ル僞文ナリ、本書之ニ據リテ説ヲナセルハ誤レリ、
- ならは、徒然草は兼好法師の自著にはあらす、妙松丸か書しもの
- 本書に引用して不用の事多け是は〓筆せり、もし三光院内府の説の如く
- 師つ雜談抄、美濃の僧支考か兼好法師の考、柏崎永以か兼好考なと有とも
- 詠し、終焉は眠か如く、云事もなくと申た〓け〓は、次の日より府の莊嚴〓
- にて、めてたき佛事なと執行しけるといふ、其餘三光院殿の崑玉集、宗祇土
- に、ありとたに人にしら〓ぬ身のほとやみそつにちつな明あたの月、と打
- なり、妙松丸は命松丸とも書けり、委くは其書に就て尋ぬへし
- 〓しに、今川了俊其際の事なと問申されけれは、兼好身まありなん前の月
- 終の事を載ひり、此妙松丸は駿河の今川か舘に至り、兼好か臨終の事を語
- ズヽ瞼又妙松丸か書た〓しといふ、末のいとなみと題せし文に、兼好法師臨
頭注
- 脱稿年月
- ノ徒然草
- 土肥經平
- ニツキテ
- ノ考
- なみトイ
- フ書
- 末のいと
柱
- 南朝正平五年北朝觀應元年四月八日
ノンブル
- 六〇九
注記 (33)
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