『大日本史料』 6編 13 貞和5年11月~観応元年11月 p.932

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

〔參考〕, ○コノ後、澄明、南軍ニ黨シテ、多比良城ヲ攻ムルコト、正平九年八月二, 十四日ノ條ニ見ユ, 於矢上致忠節云々、尤神妙也、彌可抽戰功状如件、, 三日, 〔藤原有馬世譜〕1同し頃、家臣鬼塚澄明, に賜ふ感状の文に曰、, 有間彦七郎殿, 直冬、有間澄明ノ矢上ノ戰功ヲ褒ス、, 〔藤原有馬世譜〕, 貞和六年十月三日(花押, 四日, 〓興福寺、維摩會他寺探題ノ事ニツキ、請文ヲ北朝ニ進ム, □上右大辨殿, 細見状候歟御意急速可令申沙汰給候哉之由候也、〓々謹言、, 十月二日法印懷雅, 南朝正平五年北朝觀應元年十月三日四日, 十月二日, 得此カ), (花押), て有間彦七郎澄明といふ、鬼塚、, 鬼塚刑部の子にて、姓字を賜ふ, を宛行ふ書に、鬼塚刑部殿としる, ○下略、前掲, 置字とすといふ、然るに天正十五年、佐々成政より宇土郡の内五百石乃堆, 文書ナリ, 本姓は源氏にて、佐々木と稱し、家紋は四目結輪違を用ひ、名乘い綱の字〓, 酉, 乙, せり、如何なる事にやいふらし、, 戌, 丙, (花押), 九三二

割注

  • て有間彦七郎澄明といふ、鬼塚、
  • 鬼塚刑部の子にて、姓字を賜ふ
  • を宛行ふ書に、鬼塚刑部殿としる
  • ○下略、前掲
  • 置字とすといふ、然るに天正十五年、佐々成政より宇土郡の内五百石乃堆
  • 文書ナリ
  • 本姓は源氏にて、佐々木と稱し、家紋は四目結輪違を用ひ、名乘い綱の字〓
  • せり、如何なる事にやいふらし、
  • (花押)

ノンブル

  • 九三二

注記 (34)

  • 611,850,77,202〔參考〕
  • 854,809,74,2062○コノ後、澄明、南軍ニ黨シテ、多比良城ヲ攻ムルコト、正平九年八月二
  • 739,811,56,557十四日ノ條ニ見ユ
  • 1207,662,64,1426於矢上致忠節云々、尤神妙也、彌可抽戰功状如件、
  • 1434,577,65,147三日
  • 483,624,99,1328〔藤原有馬世譜〕1同し頃、家臣鬼塚澄明
  • 277,1683,59,646に賜ふ感状の文に曰、
  • 974,1019,56,416有間彦七郎殿
  • 1431,800,83,1155直冬、有間澄明ノ矢上ノ戰功ヲ褒ス、
  • 1299,623,105,514〔藤原有馬世譜〕
  • 1090,949,64,1205貞和六年十月三日(花押
  • 159,589,67,151四日
  • 158,752,92,1825〓興福寺、維摩會他寺探題ノ事ニツキ、請文ヲ北朝ニ進ム
  • 1561,876,54,480□上右大辨殿
  • 1792,659,75,1949細見状候歟御意急速可令申沙汰給候哉之由候也、〓々謹言、
  • 1677,936,64,1356十月二日法印懷雅
  • 1909,723,47,834南朝正平五年北朝觀應元年十月三日四日
  • 1676,940,56,266十月二日
  • 1855,1008,41,171得此カ)
  • 1098,2008,56,154(花押)
  • 498,1970,49,918て有間彦七郎澄明といふ、鬼塚、
  • 541,1970,49,905鬼塚刑部の子にて、姓字を賜ふ
  • 297,682,45,972を宛行ふ書に、鬼塚刑部殿としる
  • 312,2337,43,327○下略、前掲
  • 372,673,55,2192置字とすといふ、然るに天正十五年、佐々成政より宇土郡の内五百石乃堆
  • 267,2364,42,297文書ナリ
  • 415,690,60,2173本姓は源氏にて、佐々木と稱し、家紋は四目結輪違を用ひ、名乘い綱の字〓
  • 1428,745,38,38
  • 1466,743,40,39
  • 254,687,44,924せり、如何なる事にやいふらし、
  • 151,760,48,45
  • 198,747,36,54
  • 1098,2008,55,155(花押)
  • 1924,2445,41,118九三二

類似アイテム