『大日本史料』 6編 4 建武4年正月~暦応元年閏7月 p.204

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

し、御方の軍勢を催促したる下知状あれは、, 是迄の間に、去年の〓く、今川なとを南關山鹿の間にさし向て、菊池に, 押寄するよし聞えし程に、武重も甲佐に打越て、惟澄と一になり、犬塚原に, 見るへし、一色少輔入道道猷は、宮内少輔にそ、範氏と名のりし故、少輔入道, 也、犬塚は盆木郡上島の南にある小山なり、此山の南北みな平原なり、こゝ, とはいふ也、尊氏卿去年の夏御上洛之時、道猷をは、九國の押として、殘置れ, しかとも、入道か自身に大將して、他國まて打出しは、此時か初にそありし, 間に饗庭三村なと、玉名を經て寄たる歟、船より寄たるかにそ、南郡をあん, に犬塚原といふは、南北いつれなりしやさたかれらす、武重相共とあれは、, 出向ひ、散々の合戰して、終に道猷を追返したるなるへし、一色入道舍弟右, 道猷追々の敗軍をやすからす思ひそ、此たひ兄弟共に打立て、大勢南郡へ, 武重去年の冬歸國をし後、此時初て國中に打出たるやうに聞ゆれとも、一, 寄んとしたりしを、武重馳合之、追返したる〓、兩三度もありしなるへし、其, としたりしをは、惟澄請取て防戰し、二度なから追かへをしなるへし、其後, 色入道か二月廿八日に、武重以下の凶徒對治として、肥後國へ發向するよ, 重兵ヲ寺尾城ニ擧ゲシ條ニ收, ○コノ文書ハ、二月七日、菊池武, メタ, リ、, 地理, キテノ考, 戰況ニツ, 犬塚原ノ, 南朝延元二年北朝建武四年四月十九日, 二〇四

割注

  • 重兵ヲ寺尾城ニ擧ゲシ條ニ收
  • ○コノ文書ハ、二月七日、菊池武
  • メタ
  • リ、

頭注

  • 地理
  • キテノ考
  • 戰況ニツ
  • 犬塚原ノ

  • 南朝延元二年北朝建武四年四月十九日

ノンブル

  • 二〇四

注記 (25)

  • 1011,655,68,1285し、御方の軍勢を催促したる下知状あれは、
  • 900,783,66,2076是迄の間に、去年の〓く、今川なとを南關山鹿の間にさし向て、菊池に
  • 315,659,72,2202押寄するよし聞えし程に、武重も甲佐に打越て、惟澄と一になり、犬塚原に
  • 1827,644,69,2213見るへし、一色少輔入道道猷は、宮内少輔にそ、範氏と名のりし故、少輔入道
  • 1478,650,68,2196也、犬塚は盆木郡上島の南にある小山なり、此山の南北みな平原なり、こゝ
  • 1713,655,67,2202とはいふ也、尊氏卿去年の夏御上洛之時、道猷をは、九國の押として、殘置れ
  • 1599,645,61,2212しかとも、入道か自身に大將して、他國まて打出しは、此時か初にそありし
  • 663,651,69,2212間に饗庭三村なと、玉名を經て寄たる歟、船より寄たるかにそ、南郡をあん
  • 1364,659,67,2212に犬塚原といふは、南北いつれなりしやさたかれらす、武重相共とあれは、
  • 199,658,73,2207出向ひ、散々の合戰して、終に道猷を追返したるなるへし、一色入道舍弟右
  • 431,653,71,2196道猷追々の敗軍をやすからす思ひそ、此たひ兄弟共に打立て、大勢南郡へ
  • 1246,648,71,2194武重去年の冬歸國をし後、此時初て國中に打出たるやうに聞ゆれとも、一
  • 782,653,68,2214寄んとしたりしを、武重馳合之、追返したる〓、兩三度もありしなるへし、其
  • 550,661,66,2204としたりしをは、惟澄請取て防戰し、二度なから追かへをしなるへし、其後
  • 1131,650,65,2207色入道か二月廿八日に、武重以下の凶徒對治として、肥後國へ發向するよ
  • 1007,1951,46,907重兵ヲ寺尾城ニ擧ゲシ條ニ收
  • 1053,1955,45,904○コノ文書ハ、二月七日、菊池武
  • 933,666,25,95メタ
  • 893,663,30,62リ、
  • 1461,289,43,80地理
  • 1114,294,41,166キテノ考
  • 1153,289,43,166戰況ニツ
  • 1506,289,41,165犬塚原ノ
  • 1942,719,49,770南朝延元二年北朝建武四年四月十九日
  • 1955,2449,42,120二〇四

類似アイテム