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をかうぬり、御盃をたあひ、采地千二百石をあとをこなはる、其乃ち遠江, 國今切を荒井とあらためと、關を置るゝ乃とた、仰をう〓とあはりと、御, 仰をう〓たまはり、小濱景隆とおれしく、戸田三郎右衞門忠次か下知に, 濱民部左衞門景隆とゝもに一紙の御書をとあふ、十二年、小牧陣のとき、, に至り、岡部次郎右衞門正綱か手に屬し志御留守をつとむへきむ手、小, 船手の衆に列しあこれを守り、か手て相模國三崎を警衞し、武田乃餘黨, ふ乃とれ、九鬼大隅守嘉隆軍船に乘來りる、城に入むとす、信高、岡部彌次, 郎長盛等とゝもにこれを撃ふ、大船數艘を乘取、なを進ふ敵乃船に乘う, 紙の御感状を下さる、六月十九日、織田信雄とゝもに蟹江の城を攻とま, の所々にをいて敵數多討取、注進に及ひしかは、五月五日、また景隆と一, の通路をあらたむ、十一年正月十三日、内藤平左衞門忠次を下さ〓、甲府, したかひる、掛塚乃湊を警衞し、すあにしる、伊勢國にうち入、生津、村松等, つり、奮ひ戰し死す、年三十二、法名道安、, 天正十二年六月十八日, 忠澄, 〔寛永諸家系圖傳〕五松平, 國同前、, 新助、生, 松平忠綱, 五〇四
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- 國同前、
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- 五〇四
注記 (20)
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