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〔附録, 四十歳ばかりなるべし、然れば貞和二年のころに淨賀は百四十五歳に當, 段一段に傳文あり、其後康永年中重校の繪傳は、東御本廟及び湊淨光寺、鷲, 子照願寺に安置す、是亦段毎に傳文あり、これは覺上人七十五七十七歳の, 禄の比は「白鳥傳」とて弘め、享保元文の間了圓と云者、「西佛日並記「覺如上人, の筆也、かの記全く虚説なるべし、かの寺寛文のころは「薄雙紙」とて弘め、元, る、考るに西佛の孫か又は外より來て住職せりとみゆ、最初の繪傳は光業, ニテ、覺惠ト申御子ヲ儲タマフ、其子ヲ覺如上人ト申ス、鸞聖人ノ産ニテ御, 御筆也、考るに淨賀は西佛の實子ならば八十五歳、仁治二年のころは淨賀, なれば仰付られかゝしめ玉ふ、繪傳は報恩寺及び専修寺にあり、これは一, 座ス、又存覺上人ト申ハ覺如上人ノ御子ニテ御座ス、是東山今小路ト申御, 御傳科文「淨耀細科文」と名て僞造して送る、是皆代々の僞作也, 親鸞聖人御子七人、嫡女覺信尼公、是日野廣綱ト夫婦, 繪は土佐將監光業筆、御銘御裏書は覺如上人の御筆、其後淨賀無双の畫工, 〔蓮如上人御法語〕下大谷本願寺御代之事, 親鸞聖人, 覺如上人, 如信上人, 南朝正平六年北朝觀應二年正月十九日, 六五九
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- 覺如上人
- 如信上人
柱
- 南朝正平六年北朝觀應二年正月十九日
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- 六五九
注記 (20)
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