『大日本史料』 6編 14 観応元年11月~観応2年4月 p.658

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納め、廟堂を建つ、教盆盛なりと云々、, にゆづり、正和五年三十一歳佛光寺の寺務を承け、程なく空性了源にこれ, をゆづり、元應二年師命を承て當國に來て、粗他力本願の旨趣を弘む、竟に, 堂宇を起立して光照寺と云、後同國常石と云所に移り、こゝにも一宇を立、, 宗の道場となして、專修念佛の一道をすゝむ、後最寳寺の寺務を眞弟明故, 就と云々、此記恐くは虚談ならん、其故は覺如上人最初草稿の御繪傳、越前, 月八十五歳にして往生せり、其後淨賀西佛の本意を遂んとて、西佛の記録, 召つれ北國東州の御舊路を御巡見まし〳〵て、永仁第三の比淨賀に繪を, 中往生の素懷をとけき、東山鳥部野に於てこれを葬し、遺骨を拾て當寺に, かゝしめ、一段一段の間に上人傳詞をあそばされ、竟に四軸の御繪傳を成, 後又洛陽に至りて、化導倦ことなく、而して後文和二年五月十六日午の正, 信州康樂寺「寳永記」に云、西佛の存日我子淨賀に日記をゆづり、仁治二年正, を覺如上人へ上げ、繪圖の願を申されければ、上人大きに喜び玉ひ、淨賀を, 淨徳寺所安置二幅、三州如意寺所藏三幅、甲州萬福寺所安置六幅、これらは, 〔諸寺異説彈妄〕信州康樂寺, 信濃康樂, 寺淨賀, 南朝正平六年北朝觀應二年正月十九日, 六五八

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  • 信濃康樂
  • 寺淨賀

  • 南朝正平六年北朝觀應二年正月十九日

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  • 六五八

注記 (19)

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