『大日本史料』 6編 14 観応元年11月~観応2年4月 p.727

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以テ、左ニ合敍ス、, 城保之内長田ニ築城、又吉良かたより日々とり合なり、葛西れんせいの十, 六番め子、富澤の先祖右馬助とて、所帶の一所も不持、こうとうはかりして, 千餘騎の衆ニて押てのほる、その程三年か間、留守名代たゆるなり、, かの仁は内力候よし、有時雨中ニ徒然のあまりニ、典厩しゆさんの方へ立, 越て云、〓もの程の國あらそひの御弓矢ニ、侍と成て身ヲもたさるは口惜, 候よし、又うはかた先祖かいめうしゆさんとて、是も在家ノ一宇も不持、但, 築舘給ふ、從大崎勢鉢森ニ取陣、しかま河ヲへたて、其間一里へたてゝせい, ○左ノ記事ハ年月ヲ詳カニセズト雖モ、本條ニ關係アルニ似タルヲ, ひやう遠矢をいる、なつさしニて家之侍ヲいころす、矢一ニて彼城引退、竹, 山長岡之地藏堂山に陣を取給ふ之間、こらへか手すてニ長世保卅番神ニ, ぬかのふへ南部を頼みくたす、南部方三年留守殿をろくこし、六才之時三, 肖ニてかくこニ不及とて、小鹿へ葛西を頼むといへとも、是も格勤ニ不及, ふ、畠山殿長岡郡澤田要害へ打入給ふ、大崎は近所也、大崎より打出、羽黒堂, 〔餘目氏舊記〕, 時吉良殿畠山殿とり合也、吉良殿はこま崎ニ扣給, ○中, 略、, ○陸, 中, 陸, 吉良畠山, 自山長岡, 地藏堂ニ, 大崎ノ兵, 南部ニ依, 陣ス, ノ爭, 鉢森ニ陣, 南朝正平六年北朝觀應二年二月十二日, 七二七

割注

  • ○中
  • 略、
  • ○陸

頭注

  • 吉良畠山
  • 自山長岡
  • 地藏堂ニ
  • 大崎ノ兵
  • 南部ニ依
  • 陣ス
  • ノ爭
  • 鉢森ニ陣

  • 南朝正平六年北朝觀應二年二月十二日

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  • 七二七

注記 (31)

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