『大日本史料』 6編 16 正平7年正月~文和元年8月 p.265

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にあざむかれし也とみえたり、, 二部の手簡にはさる事みへず、よつてたふ府中本宿源次郎が許に至りけ, 立たるやうなりとあるに、今の橋塲には其如き地无きに當惑して、待乳, に陣をとるなり、尊氏敗れて石濱を越て關戸に陣する時は、粂川こてさ, たてしやうなりと、さら〳〵しく人を欺く、第一笑ふへし、新田が足利を, し原よりは南へ退き、鎌倉の方へ逃入なり、若むさし野より板橋を經て, 山を以て是にあてんとして曰、己か幼年の時は、待乳山は岸高く、屏風を, 橋塲の石濱とせば、是北と東へ逃て、敵陣を通りぬ々〓はならず、己が鎌, 追ふは、常陸下總より追討は、白石の云如く、待乳山もよからんか、是は武, をさしぬるぞ、畢竟地理を見さるの臆説笑へし, 藏の合戰なり、いかにして葛飾より攻討べたん、今の府中の石濱は、南岸, をいかに見られし哉、新田勢は上野より入間川に押出して、こてさし原, 高く、いかにも屏風を立たる如し、子祥氏いまた是を知らされは、彼老狸, 倉を背中にして、奧州街道へ逃るの理なし、扨關戸に陣するとはいづく, 早苗云、長祿江戸圖考ニ云、新安手簡ニ云とての説、心得ぬ説也、既に右, 石橋の岸高く、屏風を, ○上, 略, 略, 中, 略中, 正平七年閏二月二十日, 二六五

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  • ○上
  • 略中

  • 正平七年閏二月二十日

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  • 二六五

注記 (23)

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