『大日本史料』 6編 22 延文3年9月~延文5年正月 p.803

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〻ことなり、一樣ならず、又其中にこがれすゝけて、聊大なる佛あり、水にて, り物なりといへり、其工まことに奇妙を極めたり、一佛ことに、其容おの〻, 洗へども、常にこがれたるが如し、是又ねり物なる故に、かくみゆるにや、い, る始を尋ぬるに、僧絶海が文集云々、五百羅漢は石佛といへども、或人はね, なり、石に切つけたるにはあらす、石佛皆窟の下にあり、羅漢を此所に剋め, ひの山間近く見ゆ、扨古羅漢と云所、是又大岩あまたそばだち立るあり、天, 年戊寅十月朔、石佛悉成リ、安置供養アリ、耆闍崛山羅漢寺ト號ス、爾來健順, はやは人力にてうがてるにあらず、自然の天工なり、窟前に〓干ありて、向, 九間、内の高さ四間餘りあり、其奧に五百羅漢あり、皆一〓つゝ作れる石佛, 傳宿初めて彫刻せり、なほ登り行て、大岩のさしかゝれる所、其下の廣さ方, 然の石橋なり、そのさま望見るに甚奇異なり云々、諸國を遊覽せしかども、, 漢崛ニ來リ、錫ヲ留ム、其後豐後國田澁郷ヨリ、圓龕昭覺禪師此山ニ來リ、浮, 圖ヲ構フ、又逆流健順、大阿羅漢石佛ヲ彫刻ス、人皇九十七代光明帝暦應元, かばかり奇絶なる所はいまだ見ず、本堂は北西隅に向へり、, 〔豐前志〕, 羅漢寺跡田村ニアリ、, 縁起云、相傳空也上人古羅, ○中, 下毛郡, 略, 八, トノ説, 暦應元年, 石佛成ル, トノ説, 像ハ練物, 南朝正平十四年北朝延文四年是歳, 八〇三

割注

  • ○中
  • 下毛郡

頭注

  • トノ説
  • 暦應元年
  • 石佛成ル
  • 像ハ練物

  • 南朝正平十四年北朝延文四年是歳

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  • 八〇三

注記 (28)

  • 1311,655,73,2213〻ことなり、一樣ならず、又其中にこがれすゝけて、聊大なる佛あり、水にて
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  • 1201,650,70,2212洗へども、常にこがれたるが如し、是又ねり物なる故に、かくみゆるにや、い
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