『大日本史料』 6編 22 延文3年9月~延文5年正月 p.802

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

石の内、五十石は山林也、北方は山に傍て、向ひに南山近し、石階を登りゆく, 一間許あり、猶登りゆけは、大岩の下に十六羅漢あり、千體地藏左右一所に, 行に、羅漢寺は耆闍崛山と號す、下毛郡跡田村の境内にあり、古は五山派の, 禪寺なり、今より六代已前、傳宿と云し住持より、曹洞宗に改む、慶長の比の, 又鐘樓、山門、庫裏、玄關等に至る迄、甚おごそかにして、名高き處なり、豊國紀, 事也、此所寺數區あり、下にも末寺一區あり、何れも大寺にはあらず、寺領百, 將軍家より五十石を給ふ、, に、寺は山下の高き所にあり、上にて參詣道とて、左の方より細石の所々に, 有て、其上を通る、此橋は自然の天工なり、其下におりて見るに、橋の下高さ, 四丈許、深さ六丈許なり、其内は皆堂宇なり、又十六羅漢、五百羅漢の窟と云, 今長州深川大寧寺末寺也、初は天台宗にして、後臨濟宗となり、此宗旨廿八, 代の方丈傳室和尚の時、洞家となる、細川の時なり、本堂は窟中に在て、高さ, 物あり、其外にも窟多し、佛像は皆石にて其奇巧、皆千年外の物と見えたり、, 出たるをふみて、坂を登る道あり、其坂數所あり、何れもさかし、大なる石橋, 曹洞宗にして、越前國永平寺孫末寺、, つらなれり、此地藏は、皆こまかなる石佛なり、是は慶長の比、羅漢寺の住持, 山田地合て, 今三百石、, 地藏ヲ刻, 傳室千體, ス, 南朝正平十四年北朝延文四年是歳, 八〇二

割注

  • 山田地合て
  • 今三百石、

頭注

  • 地藏ヲ刻
  • 傳室千體

  • 南朝正平十四年北朝延文四年是歳

ノンブル

  • 八〇二

注記 (23)

  • 765,667,62,2215石の内、五十石は山林也、北方は山に傍て、向ひに南山近し、石階を登りゆく
  • 304,680,62,2197一間許あり、猶登りゆけは、大岩の下に十六羅漢あり、千體地藏左右一所に
  • 1116,669,63,2210行に、羅漢寺は耆闍崛山と號す、下毛郡跡田村の境内にあり、古は五山派の
  • 998,669,63,2213禪寺なり、今より六代已前、傳宿と云し住持より、曹洞宗に改む、慶長の比の
  • 1227,675,66,2214又鐘樓、山門、庫裏、玄關等に至る迄、甚おごそかにして、名高き處なり、豊國紀
  • 883,668,62,2217事也、此所寺數區あり、下にも末寺一區あり、何れも大寺にはあらず、寺領百
  • 1821,675,62,785將軍家より五十石を給ふ、
  • 650,671,62,2211に、寺は山下の高き所にあり、上にて參詣道とて、左の方より細石の所々に
  • 418,661,63,2218有て、其上を通る、此橋は自然の天工なり、其下におりて見るに、橋の下高さ
  • 1460,674,65,2214四丈許、深さ六丈許なり、其内は皆堂宇なり、又十六羅漢、五百羅漢の窟と云
  • 1693,673,64,2216今長州深川大寧寺末寺也、初は天台宗にして、後臨濟宗となり、此宗旨廿八
  • 1577,673,64,2214代の方丈傳室和尚の時、洞家となる、細川の時なり、本堂は窟中に在て、高さ
  • 1344,673,67,2229物あり、其外にも窟多し、佛像は皆石にて其奇巧、皆千年外の物と見えたり、
  • 533,668,63,2215出たるをふみて、坂を登る道あり、其坂數所あり、何れもさかし、大なる石橋
  • 1818,1825,59,1079曹洞宗にして、越前國永平寺孫末寺、
  • 189,677,59,2201つらなれり、此地藏は、皆こまかなる石佛なり、是は慶長の比、羅漢寺の住持
  • 1852,1474,43,318山田地合て
  • 1807,1477,41,264今三百石、
  • 228,310,39,169地藏ヲ刻
  • 272,307,42,172傳室千體
  • 190,314,33,31
  • 1938,759,46,690南朝正平十四年北朝延文四年是歳
  • 1934,2480,45,121八〇二

類似アイテム