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石の内、五十石は山林也、北方は山に傍て、向ひに南山近し、石階を登りゆく, 一間許あり、猶登りゆけは、大岩の下に十六羅漢あり、千體地藏左右一所に, 行に、羅漢寺は耆闍崛山と號す、下毛郡跡田村の境内にあり、古は五山派の, 禪寺なり、今より六代已前、傳宿と云し住持より、曹洞宗に改む、慶長の比の, 又鐘樓、山門、庫裏、玄關等に至る迄、甚おごそかにして、名高き處なり、豊國紀, 事也、此所寺數區あり、下にも末寺一區あり、何れも大寺にはあらず、寺領百, 將軍家より五十石を給ふ、, に、寺は山下の高き所にあり、上にて參詣道とて、左の方より細石の所々に, 有て、其上を通る、此橋は自然の天工なり、其下におりて見るに、橋の下高さ, 四丈許、深さ六丈許なり、其内は皆堂宇なり、又十六羅漢、五百羅漢の窟と云, 今長州深川大寧寺末寺也、初は天台宗にして、後臨濟宗となり、此宗旨廿八, 代の方丈傳室和尚の時、洞家となる、細川の時なり、本堂は窟中に在て、高さ, 物あり、其外にも窟多し、佛像は皆石にて其奇巧、皆千年外の物と見えたり、, 出たるをふみて、坂を登る道あり、其坂數所あり、何れもさかし、大なる石橋, 曹洞宗にして、越前國永平寺孫末寺、, つらなれり、此地藏は、皆こまかなる石佛なり、是は慶長の比、羅漢寺の住持, 山田地合て, 今三百石、, 地藏ヲ刻, 傳室千體, ス, 南朝正平十四年北朝延文四年是歳, 八〇二
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- 山田地合て
- 今三百石、
頭注
- 地藏ヲ刻
- 傳室千體
- ス
柱
- 南朝正平十四年北朝延文四年是歳
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- 八〇二
注記 (23)
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