『大日本史料』 6編 34 応安4年閏3月~応安4年12月 p.189

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に納め奉ると云事を聞て、或人香龍寺はいすくそと山中休一檢校に問、休不知之、家に, 物を讀を聞は、仁和寺のうち、香龍寺と云事有、すは是やとおもひて、時刻をうつさす、, 本、松山宗光より相承したる一通の外は少も不知、他を知る智惠なけれは本を直すへき, 心にかけ候へはよく候や、答曰、, 歸りて穿鑿す、或人來て舟岡山より未申の方に當つて右の寺はなし、太秦の藥師の寺を, 波多野廣隆開闢して則寺號を廣隆寺と云、是より舟岡山は艮の方に當は、香龍寺は謬な, らんかと聞ゆれは、休一心をうつして、廣隆寺の艮、連臺野のおく、舟岡山に納め奉る, かのあたりへゆきて是を尋ぬるに、妙心寺の住僧海山大和尚に行あひ奉り、しか〳〵と, はなをさす、愚身あやしとおもひて、とし月是かれにたつね心につく、有時拾芥集と云, と、本面を書なをして弟子共に示すほとに、彼流の輩しか〳〵と人に語りて自慢する間、, 一問曰、五つの嫌の子細一々承分畢、扨はかたくなならす、むこからす、物の哀れを, しり、人をかこたす、身のほとをわきまへ、ひけしへりくたりて、常盤に無油斷藝を, 智惠もなし、私にて謬はこそとかならめ、謬來る文句は、あやまりを信せよと言て、誕一, 愚老聞て我師學譽の許に行て此由不審す、學譽答て、往昔心月より次第に相傳仕來る, 額打論のうち、香龍寺の艮、蓮臺野の奧、舟岡山, ○上, ○中, 略, 略, 學譽覺一相, 傳本ヲ語ル, 南朝建徳二年北朝應安四年六月二十九日, 一八九

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  • ○上
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  • 學譽覺一相
  • 傳本ヲ語ル

  • 南朝建徳二年北朝應安四年六月二十九日

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  • 一八九

注記 (23)

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