『大日本史料』 7編 4 応永6年7月~同8年4月 p.200

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てかけまはりけるか、こゝこだ手いたた合戰なれとて、二百餘騎を以て合, 力する處に、伊勢國司北畠の源大納言、同子息新少將、其勢三百餘騎にて、山, り夜半に至まて、四方すおもなく戰間、敵御方手負死人幾千萬と云數を知, きて乘り、二尺七寸の金作りの太刀をはき、太刀長刀もち、四方の戰下知し, らす、偏に帝尺修羅の戰とそ見へとりける、互に人馬の息も盡ぬれは、各本, 名と一所にて此手を切退く、城中に亂入らむとて、命をすてゝ切入處、敵手, 介か手に渡合責戰處小笠原二百餘騎、是も新介か手にも見あはせ、卯時よ, とも歸る道々に充滿、其數をしらす, は白綾威の腹卷に、甲をはぬき、下人にもたじ、鶴毛なる馬に、金幅輪の鞍お, 強鬪間、北畠少將を始として、手負打死數十人、京極、六角ぬ東を破らむと、新, 處に、山名民部少輔兄弟二人一足も退かす、城中にかけ入、敵あまた打取て, 陣こ引退く、城中の事はみ重はしらす、翌日或杉輿にのせ、或馬に縛付、手負, 合、先陣うたるれは、後陣後を踏踰へ飛こへ、火出ほとそ戰ひをお、大内其日, 散々に戰ふ、是を見て一門五百餘騎、民部少輔を打さしと切て入、敵御方亂, 斷絶諸家略傳〓, 北畠中院庶流, 號萬里小路, ○下, 略, 義弘ノ出, 立, 應永六年十一月二十九日, 二〇〇

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  • 北畠中院庶流
  • 號萬里小路
  • ○下

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  • 義弘ノ出

  • 應永六年十一月二十九日

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  • 二〇〇

注記 (23)

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  • 845,681,59,2203介か手に渡合責戰處小笠原二百餘騎、是も新介か手にも見あはせ、卯時よ
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