『大日本史料』 7編 4 応永6年7月~同8年4月 p.233

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れとも、散々に戰處に、野上の豐前、陶山の佐渡、同掃部を先として、十餘人落, も思樣に打死して、名を後代にあきんと思なりとて、備中か打死したりけ, て出つ、好長太刀持まゝに、四方八方を拂兵法の手を盡して戰ふ、向敵をの, る北の陣にかゝる處に、先管、領、同修理大夫入道も城へ切て入、散々に戰ふ、, 漢の兵五千騎にて追懸壱り、爰ニ烏江亭の長、船を用意して、此江を渡るへ, 大内最後の合戰と思けれは、身をも惜す、北より南に懸入、西より東へわり, かす事なし、修理大夫入道、左衞門佐是をみて、大内を打取らむと進みをる, は何か遁るへき、戰の手に懸ても何かをんとて、漢王我頸を千餘邑萬戸に, あひ、敵を追しけらかし、又管領の手に懸て合戰しけるに、大内か若黨紀伊, 最後に埃下と云所にて、軍破て、項羽ニ相從者わつかに廿八騎ありけるに、, 知に物いひにくかるへしとて、輔宛をさのりけるほとに、鼻口二所手負を, 處に、甲斐兄弟大内に渡合戰けるか、甲斐大内か内甲をこ〓けるに、軍の下, 祖と天下を爭ひ、八ケ年の内に七十餘度の合戰に、一度も手負のりをるに、, かへんといひなれは、汝に與へんとて自頭を切、亭長ニ與へきるとかや、我, し、此江を渡〓〓江東千里に王たらむと申さは、項羽笑て云、天□□□す、今, 同義種, 同義重, 斯波義將, 畠山基國, 陶山高長, 應永六年十二月二十一日, 二三三

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  • 同義種
  • 同義重
  • 斯波義將
  • 畠山基國
  • 陶山高長

  • 應永六年十二月二十一日

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  • 二三三

注記 (22)

  • 317,691,74,2198れとも、散々に戰處に、野上の豐前、陶山の佐渡、同掃部を先として、十餘人落
  • 1131,673,71,2195も思樣に打死して、名を後代にあきんと思なりとて、備中か打死したりけ
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