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是師成親王は周防に下向したまひ、, て周防に下る, を〓し、將に自裁せんとするに、平井道助之をとどめ、強て降を乞はしむ、於, 菊池は, 兵を屋代島に差遣す, を救ふ者なければ、廿二日の曉風に焔吹ちりて、堺の人家一萬軒, 是義弘の舊領豐石紀泉の四州を削り、防長二國を賜ひ、弟六郎盛見を討伐, 月、感山城を修理す、, け、杉生圓明も加援せり、弘茂拒戰數囘、手下の兵二百餘になりしかば、柵門, し、且姪馬場殿五郎滿世を召し出すへしとの台命を被り、本日京師を發し, 七年庚辰七月十一日、先, 盛見豐後に遁, 一宇も殘らす燒亡せり, いづこともなく逃亡し、楠は手下の兵二百餘人を率ゐて大和に遁る、, 火, 冬十二月, る、, 陶山佐渡守高長を以て長門國守護代とす、同上、八年辛巳夏四, 泉寺に於て御落飾、梵阿と御法名あら, 應永記、足利治亂記、南, 明年庚辰二月、吉敷郡上宇野令瀧の法, 記、一萬三, 古文書、○中略、弘茂、周防、長門兩國ノ凶徒ヲ繋, 足利治亂, 方紀傳、京都將軍家譜, ツコトニカヽル、七年七月二日ノ條ニ收ム、, せられしこと、南朝編年紀略に見ゆ、李花集奧書には、惠梵とあり、法泉寺舊, 方紀傳、南朝編年紀略、京都將軍家譜、大日本史、南方紀傳この新介を持, 址に御廟野といふ所ありて、古墓頗る多し、親王法泉寺にて薨したまひ、, 盛とし、系圖には弘茂、盛見と本國に遁れ、罪を謝すとす、共に謬りなり、, ゝに葬り奉る、因て御廟野といふと云へり、いま親王の御と云ふか, 長門國守, 〓ヽ略云々、感山城はいつれの國郡村なるか知られず、, あれど、銘はなし、また政弘卿の墓といふもあり、これも亦無銘なり、, 記、南, とす。, 護代記、, 應永, 千家, 云々、屋代島は周防國大島郡のことなり, 四月廿二日與小野彌四郎資信書、書曰、〓〓〓〓〓〓, 五月一日の同上書曰, 五月一日の同上書曰、〓〓〓〓〓〓〓〓ニ, ○前掲萩藩〓〓録一, テ略, スラ, 陶山佐渡守高長を以て長門國守護代とす、同上、八年辛巳夏四, 墓〓力), 同ジキヲ以テ略ス、, 録ニ同キヲ, 應永十年十月二十日, 三三一
割注
- 泉寺に於て御落飾、梵阿と御法名あら
- 應永記、足利治亂記、南
- 明年庚辰二月、吉敷郡上宇野令瀧の法
- 記、一萬三
- 古文書、○中略、弘茂、周防、長門兩國ノ凶徒ヲ繋
- 足利治亂
- 方紀傳、京都將軍家譜
- ツコトニカヽル、七年七月二日ノ條ニ收ム、
- せられしこと、南朝編年紀略に見ゆ、李花集奧書には、惠梵とあり、法泉寺舊
- 方紀傳、南朝編年紀略、京都將軍家譜、大日本史、南方紀傳この新介を持
- 址に御廟野といふ所ありて、古墓頗る多し、親王法泉寺にて薨したまひ、
- 盛とし、系圖には弘茂、盛見と本國に遁れ、罪を謝すとす、共に謬りなり、
- ゝに葬り奉る、因て御廟野といふと云へり、いま親王の御と云ふか
- 長門國守
- 〓ヽ略云々、感山城はいつれの國郡村なるか知られず、
- あれど、銘はなし、また政弘卿の墓といふもあり、これも亦無銘なり、
- 記、南
- とす。
- 護代記、
- 應永
- 千家
- 云々、屋代島は周防國大島郡のことなり
- 四月廿二日與小野彌四郎資信書、書曰、〓〓〓〓〓〓
- 五月一日の同上書曰
- 五月一日の同上書曰、〓〓〓〓〓〓〓〓ニ
- ○前掲萩藩〓〓録一
- テ略
- スラ
- 陶山佐渡守高長を以て長門國守護代とす、同上、八年辛巳夏四
- 墓〓力)
- 同ジキヲ以テ略ス、
- 録ニ同キヲ
柱
- 應永十年十月二十日
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- 三三一
注記 (52)
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