『大日本史料』 7編 9 応永14年7月~同15年4月 p.854

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御ちこ、その外は梶井、青蓮院、妙法院、聖護院、三ほう院、上せう院なとの門跡, の鳥もおとろくはかりなり、散かふ花の中より、青海波のかゝやき出たる, もおよはす、かいしろのかく人には、笙少將教豐、ひちりき侍從兼英、笛少將, いしろのかけひはは、きはめたるみちのひしにて侍るなるに、けふたか長, 教高、ひはむまのかみたか長也、堂上堂下の物の音とも雲井をひゝかし、山, たち承りて、いつれもわれをとらしとさたしたてられたれは、心もことは, 大かたははれのまひ御らんなとに、殿上の所作人かいしろにたつ時はあ, の御賀にも、この事は家々, 安元, さまなと、物かたりのおもかけもいまさらおもひいてられたり、さてもか, かつくの朝臣たちそひて、口傳したる事なれは、さためてやうあるにこそ、, りぬへき事なれとも、ちかき世には絶て久しきにこそ、さしもいかめしか, このさほうをあらはしぬる、めつらしとて、めをとゝめぬ人そなき、ちゝた。, 後深草、龜山兩院ほつせうしに御幸なりて、常行堂の御所にてわ, らはまひ御覽有しに、かい代のわらはみた王丸とかや、ひはのし孝秀か弟, の日記にも見え侍らぬにや、弘安八年七月のころにて有しやらん、, りし仁平、〓」, ○安元二年三月, 四日ノ條參看、, ノ條參看、, ○弘安, 月三十日, 仁平二年三月, 八年七, 日ノ條參看、, 沙汰ス, 垣代ノ樂, 又諸門跡, 人, 應永十五年三月八日, 八五四

割注

  • ○安元二年三月
  • 四日ノ條參看、
  • ノ條參看、
  • ○弘安
  • 月三十日
  • 仁平二年三月
  • 八年七
  • 日ノ條參看、

頭注

  • 沙汰ス
  • 垣代ノ樂
  • 又諸門跡

  • 應永十五年三月八日

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  • 八五四

注記 (31)

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