『大日本史料』 7編 17 応永19年8月~同20年2月 p.155

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

て、歴々として愁を催す、白楊の本黄壤の底に埋みて、青塚一塊の主とそなしにける、, き、直義か方人せしゆへ、足利殿〓み給ひけれとも、基氏か乳母子にて、その幼きより, 安房守藤原憲定は、安房守憲方か三男、憲方か父民部少輔憲顯は、尊氏・直義不和のと, 介抱し、且は關東の固め此人にあらてはかなはしとて、基氏か執事とはせられしなり、, なみをいたし、東岱の秋の雨涙を綴りて、累々として袖にあまり、北芒の冬の嵐音を添, 責落し、義政か首切て進す、應永元年死す、憲定應永十二年八月滿兼か管領となり、滿, り、たのしみつきてかなしみ來り、引替たる有さま、内外色を失なひて、早送葬のいと, 形のことくの孝養をいたして、聖靈佛果のためと廻向するこそあはれなり、, 憲方父に繼て氏滿か管領となり、康暦三年小山義政かそむきし時うちむかひ、鷲の城を, 兼か卒せし時、滿兼か弟滿高隱謀の企ありとて、鎌倉中靜ならす、若君持氏、山の内の, 〔列國譜〕五上杉山内, 館へたち退れけるを、憲定いろ〳〵取持て、その事はやみぬ、同十九年十月卒す、子憲, れとも口より流れて通らす、漸々息も弱りて、其夜の子の刻はかりに終に卒去せられけ, 基、, ○下, 略, ○下, 應永十九年十二月十八日, 一五五

割注

  • ○下

  • 應永十九年十二月十八日

ノンブル

  • 一五五

注記 (19)

  • 1433,624,71,2221て、歴々として愁を催す、白楊の本黄壤の底に埋みて、青塚一塊の主とそなしにける、
  • 966,624,70,2237き、直義か方人せしゆへ、足利殿〓み給ひけれとも、基氏か乳母子にて、その幼きより
  • 1081,617,70,2248安房守藤原憲定は、安房守憲方か三男、憲方か父民部少輔憲顯は、尊氏・直義不和のと
  • 851,619,67,2216介抱し、且は關東の固め此人にあらてはかなはしとて、基氏か執事とはせられしなり、
  • 1545,626,71,2244なみをいたし、東岱の秋の雨涙を綴りて、累々として袖にあまり、北芒の冬の嵐音を添
  • 616,621,71,2249責落し、義政か首切て進す、應永元年死す、憲定應永十二年八月滿兼か管領となり、滿
  • 1664,620,69,2243り、たのしみつきてかなしみ來り、引替たる有さま、内外色を失なひて、早送葬のいと
  • 1319,615,69,1921形のことくの孝養をいたして、聖靈佛果のためと廻向するこそあはれなり、
  • 732,623,71,2243憲方父に繼て氏滿か管領となり、康暦三年小山義政かそむきし時うちむかひ、鷲の城を
  • 503,616,70,2239兼か卒せし時、滿兼か弟滿高隱謀の企ありとて、鎌倉中靜ならす、若君持氏、山の内の
  • 1203,603,79,646〔列國譜〕五上杉山内
  • 384,614,70,2251館へたち退れけるを、憲定いろ〳〵取持て、その事はやみぬ、同十九年十月卒す、子憲
  • 1777,622,72,2245れとも口より流れて通らす、漸々息も弱りて、其夜の子の刻はかりに終に卒去せられけ
  • 280,616,57,78基、
  • 307,717,45,81○下
  • 264,717,41,39
  • 309,718,43,81○下
  • 167,727,44,476應永十九年十二月十八日
  • 159,2404,40,109一五五

類似アイテム