『大日本史料』 7編 25 応永23年8月~同年雑載 p.99

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入道滿隆・持仲兩所をすゝめ、御所をも取籠奉り、只今これへ來るよし何とてかくゆ, に火をかけけれは、敵みな戰ひ得す、つゝひて佐介の館へも火かゝりしかは、持氏, 憲基小田原さして落てゆく、持氏方のもの持氏か伊豆の國清寺に在るよし聞て、みな, ふ〳〵としておはすそと呼りけれは、憲基少もさはかす、何條さる事あらん、まつ滿, 隆は、先年流言ありて事大切に及しを、親なる者か取なして御命をたすけ奉りき、何の, 間に我にむかひかゝる惡事を思召立給ふへき、又禪秀は、先年伊達か赤館の戰に敗北, かの寺にあつまりしを、伊豆の狩野介、伊豆衆、走湯山の衆徒を語らひ、同十日、國, 兵を起せし時、憲基は酒宴して居しに、上杉修理大夫三十騎はかりにて馳來り、禪秀, 清寺におしよせ火をはなちてせめしかは、木戸將監滿範始二十一人腹切て死す、, 安房守憲基は、應永廿三年五月禪秀に代りて管領となり、鶴岡惣奉行に補す、禪秀か, 長か勢にかけあひ、, をはしめとして殘らす手を負ひ敗軍す、かゝりしうちに岩松・澁川か手のもの國清寺, 大庭, 今さら誰か彼に從はむやといふ所へ、, して、奥方の者に見かきられたり、, 、列國譜〓, 管領にして廳鼻和と號す、後武州深谷に住す、即前に見えし深谷上杉の事なり, 案るに、藏人は廳鼻和左馬介憲光か子にて、兵部大輔憲英か孫なり、代々奥州, ○應永九年五月, 二十一日條參看, 五, ○下, 略, 上杉山内, 應永二十三年十月二日, 九九

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  • 管領にして廳鼻和と號す、後武州深谷に住す、即前に見えし深谷上杉の事なり
  • 案るに、藏人は廳鼻和左馬介憲光か子にて、兵部大輔憲英か孫なり、代々奥州
  • ○應永九年五月
  • 二十一日條參看
  • ○下
  • 上杉山内

  • 應永二十三年十月二日

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  • 九九

注記 (26)

  • 729,683,60,2182入道滿隆・持仲兩所をすゝめ、御所をも取籠奉り、只今これへ來るよし何とてかくゆ
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  • 358,684,59,2183間に我にむかひかゝる惡事を思召立給ふへき、又禪秀は、先年伊達か赤館の戰に敗北
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