『大日本史料』 7編 22 応永22年正月~同年8月 p.168

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大納言顯泰卿の次子也、應永九年、伊勢國司となり給ふ、, 給ふへき由、定め給ひしに、今度武家の謀らひにて、かく御誓約をたかへしかは、, 清卒す、男氏隆嗣て、伊賀守となる、, に御位を讓らせ給ふ、是稱光院の御事なり、去ぬる明徳三年、後龜山院御入洛の時、天, 泰とし、滿泰を滿雅の父とす、大なる誤なり、滿泰は滿雅の兄にして、去ぬる應永六, 下一統の後は、御位をは、以前の如く大覺寺殿と持明院殿との御子孫かわる〳〵繼かせ, 〔伊勢國司記略〕, にして父顯泰卿の跡を繼き、此頃の國司たること、又諸書に見えて疑ひなし、, 左中將滿雅朝臣は、, 年堺の戰に打死したること、南方紀傳其外の書にも見えたる如し、されは滿雅、其弟, 按するに、伊勢卷に後小松院の御讓位を應永廿一年とす、誤れり、又此時の國司を滿, 同十九年八月廿九日、後小松院一宮實仁親王, 按するに、一本系圖に大納言とあれと、諸家傳・寛永系譜とあはさるをもつて取らす、, 同十七年、大館伊賀守氏, 伊勢國司をはしめ、大和・紀伊・河内・陸奥諸國の宮方等は、そもいかにとて一同に訴, 滿雅朝臣, 椿葉, 紀傳、, 南方, 始末、, 家傳上, 關岡, 記、, 三, 世, 四, 應永二十二年四月四日, 一六八

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  • 椿葉
  • 紀傳、
  • 南方
  • 始末、
  • 家傳上
  • 關岡
  • 記、

  • 應永二十二年四月四日

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  • 一六八

注記 (28)

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