『大日本史料』 11編 22 天正13年11月21日 p.237

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を氏とす、畠山義繼の麾下也しか、天正十三年五月、伊達家に從ひ、後佐竹に屬ス、, 天正十三年十一月、政宗と蘆名・佐竹と合戰の時、伊達方茂庭左月討死したるを埋め, ける、壇五ツありて何れか不可知と遊覽志にみゆ、案に左月は蘆名方窪田十郎といふ, ものにうたれたる也、今仙藩の茂庭周防は其末葉なりといふ、, 入置たり、, 伊東兵部少輔居る、案に伊東祐長の二男祐光の末流なり、本邑に住するをもて前田澤, 賢・近江守氏詮まてこゝに住す、二本松沒落の後、近江守遂に伊達家に降歸す、, こゝに於て伊達家より富塚近江守・伊東肥前守・桑折攝津守を, 畠山治部大輔政泰, 青田功士壇, 〔相生集〕十四, 高倉古館, 前田澤西館, 次郎滿國・治部少輔晴, 丸、後高倉五兵衞と更名して, 津輕家に仕ふ、今子孫あり、, 持重本家を相續せし故、こゝにうつり住しなり、, 滿盛の子、滿泰の嫡孫也けれとも、父早世して伯父, 古館辨, 館基考, 子徳萬, 氏詮の, 略, ○下, 墳墓, 元ハ伊東氏, 前田澤氏ハ, 茂庭左月ノ, 天正十三年十一月十七日, 二三七, 天正十三年十一月十七日

割注

  • 丸、後高倉五兵衞と更名して
  • 津輕家に仕ふ、今子孫あり、
  • 持重本家を相續せし故、こゝにうつり住しなり、
  • 滿盛の子、滿泰の嫡孫也けれとも、父早世して伯父
  • 古館辨
  • 館基考
  • 子徳萬
  • 氏詮の
  • ○下

頭注

  • 墳墓
  • 元ハ伊東氏
  • 前田澤氏ハ
  • 茂庭左月ノ

  • 天正十三年十一月十七日

ノンブル

  • 二三七
  • 天正十三年十一月十七日

注記 (31)

  • 970,678,61,2040を氏とす、畠山義繼の麾下也しか、天正十三年五月、伊達家に從ひ、後佐竹に屬ス、
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