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鎌倉大雙紙に足利持氏, 景集に、此館に來りしことをのせたり、, 松江山教覺寺淨土眞宗西本願寺末、開基光信法師者、當國の住人入江氏の一族にて、, と云、すへて今の民居の地となれり、, 當りて、應永廿三年、上杉禪秀亂を作し足利持氏と戰ふの時、兵火に罹り、寺寶を抱, ろの勢ひ思ひやるへし、其舊跡今此村に大門と字する地あり、古の門のありし所なり, て一寺を建立して、教覺寺と名つけ、專修念佛の道場となす、かくて四世融海の代に, り、かく足利持氏朝臣も難をさけて、此館に來り寓するほどの所なり、瀬名氏の其こ, て、駿河國大森の館におち給ひ云々、是より駿河今川上總介を御頼み可然と評定にて、, 駿河のうち瀬名へ御通り有、今川上總介範政は、氏定聟にて御所へも常に通らるゝ故, 也云々、又此事を今川記には、瀬名の館に來り給ひ、瀬名の奧安樂寺に御座と記した, 松江四郎の胤なり、, 文暦元年、親鸞上人駿河路を廻歴の時、入江庄の宅地を轉し, 〓駿河國新風土記〕, に居り、後此地にうつりて、代々此所を居所とす、今川氏の後見たり、太田道灌か慕, 御伴申、是を案内者とし, 朝臣の條に、應永廿三年十月七日午の刻計りに、箱根別當難御伴申、早, 應永二十三年十月二日, 常慶町, 六國府上, りしことは今川家譜に出す, 瀬名氏の今川氏の後見とな, 略, ○中, ○下, 略, 實, 兵火ニ罹ル, 駿河教覺寺, 應永二十三年十月二日, 一二三
割注
- 常慶町
- 六國府上
- りしことは今川家譜に出す
- 瀬名氏の今川氏の後見とな
- 略
- ○中
- ○下
- 實
頭注
- 兵火ニ罹ル
- 駿河教覺寺
柱
- 應永二十三年十月二日
ノンブル
- 一二三
注記 (31)
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