『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.114

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駿河伊豆代官兼駿府町奉行井出正次卒ス、, 右をして姓名を問しむ、正次頓首して實をもつて答ふ、かくて、太閤駿府, に府中に赴く、よりて、正次か用意違ひしかは、府中にいたりこの事を申, 國のうちにして舊領をたまふ、十八年小田原陣のとき、仰をうけたまは, 甲斐國に御進發のとき拜〓し、仰によりて駿河國の代官職となり、後同, りて豐臣太閤を鞠子の驛舍に饗應す、太閤鞠子にとゝまらすして、直ち, さむとて、馬に鞭て安部川の下の瀬をりたる、太閤はるかにこれを見、左, 行令代官、出頭甚也、但、惡人之由申候, 藩罐なるか故に、往古島津久豐命して、城下より鎌田清只、兒玉某を此地に, 城にいたり、東照宮と雜談の間、つゐに正次か事にをよはれ、東照宮其君, 移し、非常に備へしといふ、, 正次母は興津氏の女、はしめ氏眞につかへて軍功あり、天正十年、東照宮, 〔慶長年録〕三二月廿六日、井出志摩守死、日來無病氣、頓病起立所如此、知, 正成, 井出正直, 「〓, ), 寛政重修諸家譜〕, 慶長十四年二月二十六日, 甚助、藤九郎、甚助、, 志摩守、從五位下、, 金丸、甚, 異事ナシ, ○當代記, 之介、, 藤九, 郎、, 千, 正次, 百, 寛政重修諸家譜〕, 井出正次, ノ人物評, 正次ノ履, 歴, 慶長十四年二月二十六日, 一一四

割注

  • 甚助、藤九郎、甚助、
  • 志摩守、從五位下、
  • 金丸、甚
  • 異事ナシ
  • ○當代記
  • 之介、
  • 藤九
  • 郎、
  • 正次
  • 寛政重修諸家譜〕

頭注

  • 井出正次
  • ノ人物評
  • 正次ノ履

  • 慶長十四年二月二十六日

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  • 一一四

注記 (37)

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