『大日本史料』 7編 25 応永23年8月~同年雑載 p.129

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上杉方の家人上田上野介・疋田右京亮打死す、霜臺安からす思ひて一陣にかけ出、つ, りそく、禪秀是を見て大に勇み勝に乘て、岩松治部少輔に手勢をそへて、氣相坂に押, ゝけや者ともと下知しけれ共、後より崩れ立て、霜臺深手を負ける故に、力なく引し, かへらる、千葉新介、同しき嫡子修理大夫、同しく陸奧守、相馬・大須賀・原・圓城寺, の兵共は米町面に陣をとる、佐竹上總入道・嫡子刑部太輔・二男依上三郎・三男尾張, 松に押よせ、上杉霜臺四百五十よ騎にて扇谷より出て、岩松・澁川か兵と相たゝかふ、, の前より段々に東に向ひて陣をとる、同六日の巳の剋に、禪秀か軍兵共五百よ騎六本, 陣には、嫡子中務太輔憲房・上杉修理亮氏顯、郎等には千坂駿河守子息三郎・岡谷豐, 守・土佐美濃守・三河五郎は濱の大鳥居より極樂寺口に押よせたり、大縣入道禪秀か, 前守嫡子孫六・次男彌五郎・同しき從弟式部太輔・埴谷入道・同舍弟平次左衞門尉・, 小櫃・大武・沓係・太田・神田・秋本・神崎・曾我・中村の一族一千七百よ騎、鳥居, 門尉・坂田彈正忠・小早川越前守・同しき甥孫六・矢部伊勢守嫡子三郎、其外臼井・, 蓮沼安藝守・石川助三郎・加藤將監・矢野小次郎・長尾信濃守・同しき子息帶刀左衞, にて寶壽院を打出、若宮小路に陣を張、旗の手を嵐になひかし、甲の星をならへてひ, 應永二十三年十月二日, 一二九

  • 應永二十三年十月二日

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  • 一二九

注記 (16)

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