『大日本史料』 7編 27 応永24年2月~同年8月 p.194

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内丞是を見て則他の勢をましえす、唯一手にて馳向て合戰し、忽に打勝て悉追散、大將, 〔足利判鑑〕, 黨を催て蜂起し、鎌倉へ發向しけるに、敗軍の士卒悉集りけるを、同四月廿九日舞木宮, 去年禪秀ニ與ミセシ事ヲ悔ミ、岩松ヲ討テ罪ヲ謝セン爲メ、入間川ニ出向ヒ戰、舞木勝, 新田に歸りて大息つきて居たりしか、鎌倉より打もらされし人々馳來りけれは、頓て殘, 利、岩松ヲ生捕、鎌倉へ參ル、閏五月十三日、於瀧口誅ス、, 一上州新田城主岩松治部大輔入道天用は、禪秀か聟にて有しか、今度の軍に打もらされ、, 五月廿九日、岩松治部大輔逆心ヲ起シ、禪秀與力ノ殘黨ト入間川ニ出張、舞木宮内丞、, 岩松治部大輔を生捕て鎌倉へ引まいらせけるに、是そ朝敵の張本なれはとて、同五月十, 岩松治部大輔、禪秀與力殘黨相伴天出張間、五ゝ廿九ゝ舞木宮内丞生取之、進鎌倉、潤, 從三位左兵衞督持氏, 五ゝ十三ゝ於龍口被誅訖、, 〔鎌倉大日記〕, 〔今川記〕, 〔今川記〕〇續群書類從卷六百二所收, (相模鎌倉郡), ○喜連川判, ○宮内廳書陵部所藏, 鑑異事ナシ、, 靜幽堂叢書十一所收, ○生田美, 喜藏氏本, 續群書類從卷六百二所收, )二, 之ヲ捕フ, 滿純ト戰ヒ, 舞木宮内丞, ニ戰フ, 武藏入間川, 應永二十四年閏五月十三日, 一九四

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  • ○喜連川判
  • ○宮内廳書陵部所藏
  • 鑑異事ナシ、
  • 靜幽堂叢書十一所收
  • ○生田美
  • 喜藏氏本
  • 續群書類從卷六百二所收
  • )二

頭注

  • 之ヲ捕フ
  • 滿純ト戰ヒ
  • 舞木宮内丞
  • ニ戰フ
  • 武藏入間川

  • 應永二十四年閏五月十三日

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  • 一九四

注記 (31)

  • 295,650,62,2251内丞是を見て則他の勢をましえす、唯一手にて馳向て合戰し、忽に打勝て悉追散、大將
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