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間河に馳向ひ、同世谷原にて、十二月廿三日、合戰を初、終日戰くらしけるか、伊與, 下總守并南一揆并に完戸備前守兵共入間河に馳集り陳をとり、伊與守持仲御供申、入, 守打負、鎌倉さして引返す、江戸・豐島勝にのり追かへしかは、伊與守も持仲も、漸, を大將軍として、十二月廿一日、小机邊迄張す、持氏御方には、江戸・豐島・二階堂, 同廿五日夜に入鎌倉へ歸り給ふ、又上野國にては、禪秀の聟岩松治部大夫本名也とて、, 〔禪秀記〕, 持氏の味方にて召に不應す、さらは討手をつかわすへしとて、持仲を大將軍として、, 新田に成かへり、館林邊へ討て出、國中過半したかへける、由良・横瀬・長尾但馬守、, からなれは、頓而押寄不殘追散しけり、, 中務太輔憲顯、其弟伊與守憲方、武州へ發向す、憲顯はいたわる事ありて留り、與州, 持氏の御方として、十二月十八日、岩松と合戰す、岩松か家老金井新左衞門討死して、, 岩松は引退き、同月の廿二日、猶岩松多勢にて押寄ける、横瀬・長尾勝ほこりたる折, 〔喜連川判鑑〕, 〓去程に新御堂殿并持仲鎌倉に御座まし、關東の公方と仰られたまふ、然共近國猶, 應永二十三年十二月二十五日, ○下略、鎌倉大, ○續群書類從, 草紙異事ナシ, 卷百十二所收, ○徳川昭, 武氏藏本, ○上, 略, 野國ニテ敗, 持仲武藏小, 岩松滿純上, 机邊迄出張, ス, ル, 應永二十三年十二月二十五日, 四三一
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- ○下略、鎌倉大
- ○續群書類從
- 草紙異事ナシ
- 卷百十二所收
- ○徳川昭
- 武氏藏本
- ○上
- 略
頭注
- 野國ニテ敗
- 持仲武藏小
- 岩松滿純上
- 机邊迄出張
- ス
- ル
柱
- 應永二十三年十二月二十五日
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- 四三一
注記 (31)
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