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へ運ふ、あへてしるものなし、また滿隆の内書に禪秀か状を添て、將軍家御内旨のよ, 讒によつて、君も危艱にあひ給ひしはよもわすれ給ふまし、今大納言殿より仰下さる, ゝこそ幸なれ、義嗣の御下知を將軍の御教書と號し、禪秀か引受て諸將をかたらはは、, 十月一日夜半はかりに、滿隆・持仲鎌倉御所をしのひ出、寶壽院にうつり、禪秀か郎, 肥・土屋、常陸の名越一黨・佐竹・小田・府中・行方・小栗、下野の那須・宇都宮、, 陸奧は篠河殿へ頼けれは、蘆名・白川・結城・石川・南部・葛西・海東みな同心し、, 關東の徒たれか味方に參らてあるへき、とく〳〵思召立、鎌倉を責落し御上洛あらは、, の持仲は我猶子と定めつれは、彼を取立給はれとて同心しけれは、是より禪秀疾と稱, 天下は掌の中にありとすゝめけれは、滿隆も大によろこひ、我身は天下に望みなし、甥, し引籠て、内々郎等に命し、國々より兵具を俵に入れ粮の様にし、人馬に負せて鎌倉, 郎、兒玉黨には大類・倉賀野、丹黨の者とも、其外荏原・蓮沼・別府・玉井・瀬山・, し國々へ觸けれは、禪秀か〓千葉兼胤・岩松天用入道をはしめ、澁川左馬介・舞木太, 小笠原の一族、伊豆の狩野一類、相模の曾我・中村・土, 甕尻、甲州には武田信滿, てには謀反人いてきて、他人の爲に國を奪れんこと遠からし、また過し年佐介入道か, 禪秀, か舅、, 應永二十三年十月二日, 九七
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- 禪秀
- か舅、
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- 應永二十三年十月二日
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- 九七
注記 (19)
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