『大日本史料』 7編 26 応永23年雑載~同24年正月 p.466

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〔禪秀記〕, 同九日、味方大形心替りして敵に加りしかは、持仲・滿隆・禪秀不叶其夜鎌倉エ沒落な, 川勢、江戸・豐嶋兩方より鎌倉へ亂入、かくて持氏御所同十七日鎌倉へ還御なり、淨智, り前にいたわる事ありてかたわらに引籠おわしけるか、ひそかに京へにけ上らるゝ、今, 助氏春を初めして悉自害して失にけり、嫡子憲顯は如何にしてのかれたりけむ、此戰よ, 小田原迄責下り、味方打負るよし聞けれは、敵はまけても悦ひ、味方は次第に力を落、, され、同十日、禪秀子息寶性院快尊法印の雪下御坊に籠り、滿隆御所、同持仲、右衞門, 寺に入らせたまふ、其後江戸・豐嶋を初忠節の人々、禪秀一類の沒收の地をわけ給、大, 并江戸・豐嶋と合戰しけるか、江戸・豐嶋打負て引退きけり、然といへとも上方の討手, 佐禪秀、俗名氏憲、子息伊與守憲方、其弟五郎憲春、寶性院快尊僧都、武州守護代兵庫, 森には土肥土屋か跡を給り、小田原に移、箱根別當は僧正に申なさる、今川範政は京都, 明れは應永廿四年正月朔日、鎌倉より滿隆御所并禪秀武州世谷原に陣ヲ取、南一揆, 〔出羽國大泉庄三權現縁記〕, 同二十四年丁西正月十日、上杉金吾殿切腹、, ○鶴岡市郷土, 武氏藏本, ○徳川昭, ○上, 資料館所藏, 略, 同氏春, 持仲等自殺, 同憲春, 寶性院快尊, 氏憲ノ子憲, 上杉憲方, 顯京都ニ上, ル, ス, 應永二十四年正月十日, 四六六

割注

  • ○鶴岡市郷土
  • 武氏藏本
  • ○徳川昭
  • ○上
  • 資料館所藏

頭注

  • 同氏春
  • 持仲等自殺
  • 同憲春
  • 寶性院快尊
  • 氏憲ノ子憲
  • 上杉憲方
  • 顯京都ニ上

  • 應永二十四年正月十日

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  • 四六六

注記 (31)

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