『大日本史料』 7編 28 応永24年9月~同年雑載 p.37

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共ハ船ニ乘つれ、さへのわきのことくにこき來ル、, 方一家とハ申なから、家を御執事候ハヽ輕敷成へしと申さる、尤にて候へ共、今おい, の平・さゝの木ニ前勢ハすゝめハ、跡ハ未遲馳の衆ハかこ嶋之内ニさゝへたり、浦人, ハさる事候へ共、重而不可然さる事て二のまいたるへし、万無面目候と御意候へ共、, 一谷山之本城衆、本意なれハ伊地知對馬・酒匂・北原一類一手前勢ニ成て、直ニ指寄、, てハ人ニよるましく候、存忠か本意此上ありかたく候、御籏之手を打立ル、先例さる, 寄々ニ其旨吉田方よりさいそくに主を討せ、兄弟ゆかの敵とて聞ゆる所ニまかせ、一, 祝儀ニまかせて小籏一揆佳例とて若キハ葉せせう、矢はハたさす、わかき方多くし、, 一人役たりとてことの外の御きけんニて候、, ちと年たけたる人ハ小はたをさしつれ、かこしまを打立、青屋・牛かけのはま路を浪, 之安了入道き見ニ、九州おいてハ小貳・大友・菊池なとに對而モいかゝ候哉、伊集院, 味同前ニ馳寄、前河野邊の合戰、九月十一日此儀なる事ハ五日内ニ定ハ、今度ハ存忠, 如此候ヘハ一入奔走由申され、事延候てハいかゝとて屋形ニ披露あれハ、面々の御志, 「・‥」御諏方之前ニて、「・:」御神水、御旗之手をも「‥」神前にてとかれ候之處、本田, 應永二十四年九月十一日, 三七

  • 應永二十四年九月十一日

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  • 三七

注記 (16)

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