『大日本史料』 8編 1 応仁元年正月~同2年7月 p.273

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しに、幾程ならす細川邊の計略によつて公方え召る、今は理運に手に入た, り、去にし方は細川管領の披露とて、さしも城の外に出されし貞親、今は出, 頭乃雜掌と成て、再御陣に安堵をしむ、兩年の内に轉反し、昇沈共に細川の, 其刻公方御機嫌も以の外の機色、貞親、王城の栖も如何の時宜也と沙汰有, こゝに去々年大名一同の訴訟と, 細川は八里か中をなかれけりあなたへも四里こはなたへも四里, 何事も皆末の世になり平の伊勢物語をぬ人はなし, 〔應仁略記〕下今出川殿伊勢の國御下向乃事、, とし、再參洛を遂、是更に公方樣御許容にあらす、押へて出洛し云々、其時分, 伊勢守進退無一途歟、雖罷上不入京中、陣取花頂云々、今出川殿儀不事行, 在, 落首あ象、, 一、昨日伊勢長野下着了、, 成て一錯亂、公私の煩ひ出來をし、伊勢守貞親沒落以後、伊勢國, 十三日, 歟、, ○上文ハ、義視、聖護院道興ト共ニ歸洛ノ, 峯合戰一色世保生涯事, コトニ係ル、二年九月十一日ノ條ニ收ム, 并翌年御歸洛、付タリ多武, 關殿在所, 請取て, 貞親義政, ノ許容ナ, クシテト, 勝元ノ盡, ニ還ル, 長野伊勢, 洛ス, 力ニヨリ, テ召サル, 應仁元年五月三十日, 二七三

割注

  • ○上文ハ、義視、聖護院道興ト共ニ歸洛ノ
  • 峯合戰一色世保生涯事
  • コトニ係ル、二年九月十一日ノ條ニ收ム
  • 并翌年御歸洛、付タリ多武
  • 關殿在所
  • 請取て

頭注

  • 貞親義政
  • ノ許容ナ
  • クシテト
  • 勝元ノ盡
  • ニ還ル
  • 長野伊勢
  • 洛ス
  • 力ニヨリ
  • テ召サル

  • 應仁元年五月三十日

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  • 二七三

注記 (33)

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