『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.61

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しとなん、亦仰を蒙り、松平下總守、本多美濃守に、佐久間河内守、瀧川豐前守、, も在陣のかくず致す〓き由仰含らる, なしとて、手勢は言ふに及す、越前加賀近江伊勢紀伊奧〓勢まて御加勢を, 油斷なく土石をはこはば、堤塘をうがつ、翌廿五日巳の刻まてに、南表大〓に, 山城宮内少輔、山本新五左衞門を差添へられ、大坂四門を警固し、雜人乱入, 々へ引上けしな旨、警固頭瀧川豐前守、佐久間河内守、山城宮内少輔、山本新, 頼みけれは、雲霧のことく集りて、曳聲を出し、暮に及んて提灯を以て、終夜, 五左衞門、茶臼山へ參り言上すれは、大御所甚御滿足、翌廿六日御上洛あり, 平均す、午の刻には掃除まて仕立、雜兵とも暫く休足せしみ、各々其陣所々, 二月廿四日ゟ、惣軍の人數を以て堀埋ニ着手す、其惣奉行松平下總守、本多, し、平野通り八丁目口筋は早平均と披露に、依て上奉行後手に成ては面目, 美濃守、本多豐後守、相議して曰、先す南側今度堀たてたる新堀を早く埋め, 立候て然るへしと、下奉行渡邊半四郎、山田十太夫等に申遣に、はや渡邊山, 田は丁場へ出ると言ふ程こそあれ、兩御陣所の足輕中間一人も不殘引卒, 十, 氣に入給ふ、亦美濃守其元親族なれ, は、將軍家の陪臣に紛〓なしといへと、此時分ゟ一族廣く互に心状勵ま, す、故に惣て大將ニは美濃守なりとし、又思案工夫ニは豐後守となす、, 下總殿は健やかにして、大御所の御, ノ進捗, 埋立工事, 慶長十九年十二月二十一日, 六一

割注

  • 氣に入給ふ、亦美濃守其元親族なれ
  • は、將軍家の陪臣に紛〓なしといへと、此時分ゟ一族廣く互に心状勵ま
  • す、故に惣て大將ニは美濃守なりとし、又思案工夫ニは豐後守となす、
  • 下總殿は健やかにして、大御所の御

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  • ノ進捗
  • 埋立工事

  • 慶長十九年十二月二十一日

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  • 六一

注記 (23)

  • 400,626,59,2233しとなん、亦仰を蒙り、松平下總守、本多美濃守に、佐久間河内守、瀧川豐前守、
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