『大日本史料』 8編 8 文明7年正月~同8年6月 p.919

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よしな發私の戰を起し、主の御行衞さへしらすして、かいりくの砌り、かや, 關東の兩將も尤と一同し、此條々を駿河衆の兩陣へ申送らるゝ、駿河衆も, の御在所存知て候間、御迎に參り御舘へ返し奉るへしと評定ありけれは、, うにあつかひ有りしかは、大によろこひ、早々兩陣を引て、則ち御舘へより, つかひを不用、和睦の儀なくは、京都の御下知を承り、豆州樣へ申合、一方を, りしかは、太田上杉御舘へ參り評定し、和談のはかりことをめくらす處に、, 人にはなけれとも、主の家を滅すへき事、是に過ての惡事なし、各々の御あ, 二ツに分て合戰の事、今川家滅亡の基にて候、尤主人に意趣なけれは謀反, に參り逢ひ、關東より加勢の兩大將に相談ありきるは、かやうに家來人々、, 上洛の時かりそめ迎給ひ、若君誕生ありしかは、北川殿とて新殿を作り居, 退治可仕、若又御あつかひを承り、尤と一同し和談の事定り候はゝ、龍王殿, 龍王殿御母は北川殿と申て、京公方の御執事伊勢守殿御めいなり、先年御, 付申されしか、今出川殿伊勢へ御下向の時、御供に下り、, 給ふ、其弟伊勢新九郎長氏と申人、其比備中國より京へのほり、今出川殿へ, それよりあ手君を〓つ手て、駿河國へ下向ありしか、折節此亂, 月二十一日, ノ條ニ見ユ, ルコト、應仁元年八, ○義視ノ伊勢ニ下, 伊勢氏ト, 北川殿, 伊勢長氏, 駿河ニ下, 文明八年六月是月, 九一九

割注

  • 月二十一日
  • ノ條ニ見ユ
  • ルコト、應仁元年八
  • ○義視ノ伊勢ニ下

頭注

  • 伊勢氏ト
  • 北川殿
  • 伊勢長氏
  • 駿河ニ下

  • 文明八年六月是月

ノンブル

  • 九一九

注記 (25)

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