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も建られしなるへし、, に朝倉の時代祈願所寺院の跡と云、, れは、其節より朝倉家斯波の舊趾をトて此所に居住せられしと見えたり、, の初、朝倉家當國一圓を賜はり、一乘へ移られし後は、居舘の跡に祈願所を, 其以前より黒丸庄は一條家の釆地なれは、幸に朝倉家へ預け置れしを、朝, 〔附録〕, 裝束抄の中にも見え候ひき、素良按するに、建武暦應の比は、高經此所に城, 倉次第に勢を國中に振ひ、早晩一條家の莊園をも押領せしなるへし、文明, を築れしか、其子孫は代々管領として在京し、當國は家臣に預け置れしな, 貳町許東方山の内に四拾間四方許の所〓上の形あり、福井より三里、一説, 新安手簡に云、越前朝倉祖黒丸入, 道なと、一條家の黒丸庄を預られ候ひしより、彼國に竊據し候事は、一條の, 大黒丸城跡足利高經黒丸城迹、, り東、朝倉孫左衞門尉廣景、同孫次郎高景、同彈正左衞門尉敏景、三宅村より, 村よ, 〔尋尊大僧正記〕, 越前國名蹟考〕, 文明三年五月二十一日, (包紙)「自播州, □□□因幡入道, 〔尋尊大僧正記〕文明三年十二月十四日裏, 城迹, 文明三年十二月十四日裏, 十坂井郡, 國繪, 黒丸村, 考, 圖、, 二, □□□因幡入道, 十, (包紙)「自播州, 黒丸莊, 文明三年五月二十一日, 五七五
割注
- 城迹
- 文明三年十二月十四日裏
- 十坂井郡
- 國繪
- 黒丸村
- 考
- 圖、
- 二
- □□□因幡入道
- 十
- (包紙)「自播州
頭注
- 黒丸莊
柱
- 文明三年五月二十一日
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- 五七五
注記 (35)
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