『大日本史料』 8編 8 文明7年正月~同8年6月 p.926

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川又次郎、大道寺太郎、在竹兵衞尉、いせ新九郎と共に七人いひ合、東國へ下, 家の亡靈をとふらひ、高時を徳崇權現と號し、此寺の鎭守にいはひ給ひた, 女を申請、我つあとなし、ともなひするかへ下り給ひぬ、然るにいせの守殿, 號し二人乃子息あり、いつれも京都の公方樣へつかへり, らすとて、占方に尋給へは、いにしへほろひし平家の亡魂共、恨みをなすよ, 此よしを聞、同道せんと荒木ひやうこのかみ、ため權兵衞、山中才四郎、あら, し申によりて、高時か〓しきの跡に寶戒寺といふ寺を建立し、おほくの平, れは、扨こそさとしもしつまりぬ、者いせ伊勢守うしろ見の時節、するかの, 國主今川五郎氏親京都へ上り、公方へ御禮申下國に至て、いせの守殿の息, 向し、するかの國に著たり、今川氏親と新九郎縁者たる故、するつにとゝま, く御他界なり、其後新九郎は關東へ下向の思慮をめくらす、されは今川氏, 親は、新九郎ためにをはの夫なれは、新九郎するかを心さし下る處に、朋友, 子息するかのかみ照康と名付、照康の嫡男太郎貞次、しなん新九郎氏茂と, る、義元親父の時代也、其時分今川家中にむほんの侍おほく有しを、早雲武, 然に御所樣いつよりの例ならすおはしまして、つ〓には世をは屋, ○照康、貞次、氏茂, 等伊勢系圖ニナ, シ、誤ナ, ルベシ, 河下向, 長氏ノ駿, 文明八年六月是月, 九二六

割注

  • ○照康、貞次、氏茂
  • 等伊勢系圖ニナ
  • シ、誤ナ
  • ルベシ

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  • 河下向
  • 長氏ノ駿

  • 文明八年六月是月

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  • 九二六

注記 (23)

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