『大日本史料』 9編 9 永正16年正月-永正16年10月 p.334

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〔北條五代記〕四北條氏茂百姓憐愍の事, 行し居住す、其比郎從二三百人程扶持す、此人しひの心ふかくして、百姓をあわれみ、, 毎年の年貢をゆうめんせらる、是によつて百姓共、かくしひなる地頭殿にあひぬる物か, 七人の中にも早雲文武ちほうの人なる故に、今川の縁者となる、是によつて諸侍早雲を, り、件のいせ新九郎氏茂は、京都より唯一人するかの國へ下り、今川五郎氏親をたの, なとよろこひ、此君の情には、命の用にもたつへし、あはれ世に久しくさかへ給へかし, 也、其時分今川家中にむほんの侍おほく有しを、早雲武略をもつてこと〳〵く退治し、, 尊敬す、殘る六人も、後は早雲の家老となる、早雲は伊豆とするかのさかひ、高國寺に, 聞しは昔、北條早雲入道氏茂、伊豆の國を切て取事、しなすこしかはり、説おほし、或老, み、堪忍し給ふか、文武の侍たるにより、今川殿の縁者となりて、するかの高國寺邊を知, と、心さしをはこはすといふ者なし、誠に慈悲あらん人をは、親疎をいはす親の〓く思, 士語りけるは、早雲は民百姓をれんみんし、慈悲ふかき故に、伊豆の國を治められた, かの國に著たり、今川氏親と新九郎縁者たる故、するかにとゝまる、義元親父の時代, ひ、恩あらん輩には、貴賤を論せす主從の禮をいたす、是仁の道也、然に新九郎いれい, さいしやう有、, ○下, ニ居ル, 興國寺城, 意ス, 民政ニ留, ニ下向ス, 永正十六年八月十五日, 三三四

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  • ニ居ル
  • 興國寺城
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  • ニ下向ス

  • 永正十六年八月十五日

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  • 三三四

注記 (23)

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