『大日本史料』 8編 19 文明18年9月~長享元年2月 p.245

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つていつ、國司勢、宇治勢と待ちうけ、引包んてさん〳〵に戰ひ、數百人を打, 神殿を穢し奉らん恐れあり、只をひき出してうち取るにしかすとて、種々, を天文三年正月の事とし、國司を晴具卿とせり、いみしき誤なり、從ふへ, とりけれはく、武則も痛手をおひ、又拜殿の下へ走り入り、腹十文字にかき破, り、腸を〓み出し、宮中に火を放ちてやけ失せけり、國司勢既に打勝ぬるに、, 類宮中へ走り入り、御殿の下に楯籠れり、國司勢おしよせて腹を切らさは、, にりけやぬり、おしたゝひて攻め入り、山田三保盡く燒拂ひけれは、榎倉一, 延徳記に從へり、又北畠物語、同九代略、兵家茶話、重編應仁記等には、此亂, やあらん、又日も十九日に作るへきを二十日に作れり、今みな子良舘記、, ゝまり、十九年は長享元年なり、八の九となること、恐らくは傳寫の誤に, 計略をめくらすとこ决に、同二十二日の早天に、榎倉一類遂に宮中よりき, とりけり、, 陣澤、秋山眞先にいさみ進みて、川を押渡り、山田勢にわたし合ひ、さん〳〵, 按するに、兩宮兵亂記に、此戰を文明十九年の事とす、文明は十八年にと, 敵の殘黨尚二見浦に陣をとりてありと聞き、又おしよせて、こと〳〵く打, 文明十八年十二月二十二日, 内宮子良舘舊記、内宮延徳記、, 兩宮兵亂記、眞盛上人傳記, 文明十八年十二月二十二日, 二四五

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  • 内宮子良舘舊記、内宮延徳記、
  • 兩宮兵亂記、眞盛上人傳記

  • 文明十八年十二月二十二日

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  • 二四五

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