『大日本史料』 8編 22 長享2年5月~同年7月 p.465

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け、岩の上に休て心を澄し、しはらく此所に逗留ありしに、近在の農民歸依して、草, 源同道なされ、菅生川を渡り、伊田を過、吉祥山を右に見、瀧の谷に入し時、北に當, して、寛正元年の春、寺法を弟子明仲に付囑し、自分は高宮の郷淨瑠璃淵の岸におひ, 遷化の後、本寺を立出、西に向て行脚し、三河國菅生川の邊に到りて、笈を枯木にか, 庵を結搆して居住す、誠に山上の月は坐禪の床に落て、少室不夜の灯を挑け、山下の, して、覺えすも年月重りぬ、ある時、當國の守護岩津の城主松平和泉守信光公、巡獵, て松樹欝齡蒼たる一峯あり、南の麓には瀧川を帶たり、永源心にかなひしかは、公則此, に再會の時、此所は人家もほと近けれは、坐禪の床も穩かなるまし、吾岩津の城邊, 御尋有て、其珠勝を感し、是より歸依しそめたまひて、崇敬他に異なり、其後公永源, 地に伽藍を建立し、慈應山萬松寺と號し、常々參詣、禪法御聽聞の由也、永源在住久, は、四方皆山なり、何の所にても、望にまかせ一宇を造立しまいらすへしとて、則永, 流は誦經の臺に響て、靈鷲常在の御法を傳ふ、菩提の行事障なけれは、則安心庵と號, して草庵の近所へ出給ふ、其節彼庵室へ立寄たまひ、永源に對話し、宗門の法義なと, て、龍澤永源といふ沙門あり、遠州の出生、同國引馬普濟寺華藏和尚の弟子也、華藏, 長享二年七月二十二日, 二日、, 信光永源ト, 會ス, 長享二年七月二十二日, 四六五

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  • 長享二年七月二十二日

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  • 四六五

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  • 1602,687,70,2190け、岩の上に休て心を澄し、しはらく此所に逗留ありしに、近在の農民歸依して、草
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