『大日本史料』 9編 1 永正5年6月-永正6年9月 p.758

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旋風の塵をまく風情なれは、面をむく〓きやうもなく、逸足にく逃散るを、, して詰かけたり、元秀四十三騎を左右に進め、今そかけよとて、まつしくら, 火をかけ、指違へてた死にける、岡豐の城落去して、此跡本山、吉良、大平、山田, 持、家は絶ましおそ、主乃孤を守立る事、和漢ともに例し多しといえとも、近, に〓く出、思ひ儲けし死狂ひ、射をも〓をも事ともさす、大將を討とらんと、, 凡六七十騎なき捨たり、桑名丹後は本山勘解由と組、首かき切り、立ああら, 十三、北の方は三十三、姫君十六歳、一所に自害せり、八人乃侍こゝかしこに, 便の事とも也とく、御〓を流させ給、併し宮内少輔ぬ、近藤といふ能き者を, 配分して領しける、扨彼近藤は、五日路を經て、難なく一條殿へ參り、土居式, 騎も過半討死して、主從九人に成る、是迄だとて、乾の矢倉へ取籠り、元秀四, 戰の次第一々に御尋有り、千王丸はいくつだと仰らる、五歳にて候と申、不, 部をもて、段々子細を申上る、一條殿千王丸と、近藤太郎兵衞を召出され、合, んとする所に、敵三騎をり合、終に丹後も討る、中内藤兵衞、久武肥後は、大將, 本山を追懸、深入して多勢に取卷れ討死す、元秀城内へ引入られは、四十三, 藤は今乃世の忠臣なりとのたまひ、千王丸を御側に置さられ、御いたはり, ト共ニ自, 本山吉良, 殺ス, 兼序妻女, ヲ分ツ, 等岡豐領, 丸ヲ養育, 房家千王, ス, 水正六年五月是月, 七五八

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  • ト共ニ自
  • 本山吉良
  • 殺ス
  • 兼序妻女
  • ヲ分ツ
  • 等岡豐領
  • 丸ヲ養育
  • 房家千王

  • 水正六年五月是月

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  • 七五八

注記 (26)

  • 1579,643,61,2219旋風の塵をまく風情なれは、面をむく〓きやうもなく、逸足にく逃散るを、
  • 1809,645,63,2200して詰かけたり、元秀四十三騎を左右に進め、今そかけよとて、まつしくら
  • 882,649,62,2209火をかけ、指違へてた死にける、岡豐の城落去して、此跡本山、吉良、大平、山田
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