『大日本史料』 9編 1 永正5年6月-永正6年9月 p.884

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山内乃管領上杉民部太輔顯定は、, ぬ、越州のしやてい九郎房義、家老長尾爲景とむしゆん有、す〓には房義う, れ、正しき讎敵を其まま置ては、家門の〓め腹心乃痼病と成へし、速かに退, さんせん壹め、永正六年七月廿八日、武州を打壹ち、翌月越州へ發向ありて、, 顯定は十四歳の比、關東へ越山ありてこのかた、四十三年弓矢をとり給ひ, ちまけ、あまみそといふ地にてうたれ給ひぬ、是によつて顯定うつふんを, 國中大かた手にいれ、本意をとけられ、爲景を越中のさかひ、にしはまへす, 治して、且ぬ先亡乃いきとをりをやすめ、且は國家乃靜治をいたすへしと, 此よしを聞玉ひ、やすからぬ事かな、我か弟乃分國を、家臣乃ために打とら, 〔鎌倉九代記〕六長尾爲景逆心, て、子息當管領五郎憲房兩大將として、上州の軍勢八千よ騎を率して、同七, 形憲房ヲ相伴、赴越後、同七月廿八日合戰有、長尾打負、越中國西濱エ落行、〓, 〔北條五代記〕二兩上杉たゝかひの事, いたうあり、, 略, ○上略、爲景、房能ヲ撃チ、越後ヲ平定スル, コト二カヽル、四年八月七日ノ條ニ收ム, 下略, 〇上, 六, 越後〓ネ, 顯定ニ屬, ス, 水正六年七月二十八日, 八八四

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  • ○上略、爲景、房能ヲ撃チ、越後ヲ平定スル
  • コト二カヽル、四年八月七日ノ條ニ收ム
  • 下略
  • 〇上

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  • 越後〓ネ
  • 顯定ニ屬

  • 水正六年七月二十八日

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  • 八八四

注記 (25)

  • 653,1818,61,1004山内乃管領上杉民部太輔顯定は、
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