『大日本史料』 9編 2 永正6年10月-永正7年12月 p.800

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事り有べき、敵の軍勢多しといふとも、味方十人に一人宛にも及ふべから, ず、縱彼大義のはかり〓をなすといふとも、蝌耀乃ひかりは大陽の明なる, 亂れたる有樣、戰國乃七雄起立て、權をあらそひける古しへも、角やとぞ覺, べきもの也とて、靜かに手分をして、伊玄入道が沼田乃陣をだに追くづさ, てたりきり、東西狼逆し、南北蜂起して、敵となり味方となり、互に峙たちて, 奈川にそつかはされきる、建芳入道手勢を率して打立けれは、管領より乃, 井乃城に在ながら、人數を出して沼田を押へさを、治部少輔入道建芳を神, 勢をあつめて、武〓神奈川に押出つゝ、權現山を城郭として、謀反乃色をた, 部少輔入道建芳が被官上田藏人入道、すでに北條早雲が下知に隨がひ、軍, に當かたし。精衞が巨海を〓まんとし、塘蝮が隆車を遮きるにおなじかる, 駈催し、軍勢都合二萬よ騎、永正七年七月十一日、神奈川權現山の城に押よ, ば、小田原、北越乃敵はおそるゝに足らず、自亡べしとて、管領五郎憲房は、臼, が名代矢野安藝入道、長尾但馬守が名代成田中務丞、其外武〓の南一揆を, 加勢として、成田下總守、澁江孫次郎、藤田虎壽丸、大石源左衞門、長尾孫太郎, えたな、山内上杉乃人々は、更に驚く色もなくて、あら〓〳〵しる、何ほど乃, 憲房白井, 城ヲ戌ル, 永正七年七月十九日, 八〇〇

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  • 憲房白井
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  • 永正七年七月十九日

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注記 (19)

  • 1251,623,59,2206事り有べき、敵の軍勢多しといふとも、味方十人に一人宛にも及ふべから
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