『大日本史料』 9編 3 永正7年是歳-永正9年3月 p.46

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に下總國小見川善應寺にかくし置、然處に小見川におゐて、此三尊光を放, あ浮かり、大惡病を退治し給ふ也、しかれは則三尊の阿彌陀は、現世安穩の, 行方次郎を尋〓、次郎に心を合勢、行方若海村に草庵をむすひ、終に往生を, 〻と東關へもり下り、下野國粉川寺の邊に住居し、其後常陸國小松寺にも, 良臣筑後守貞能といふ人、主君の厚恩を顧み、重盛公の御骨を頸にかけ、此, やらん盜とり、海邊を通をに、霞浦にて眉間白毫失〓り、則尋をに求得を、終, す、其後永正三年乙丑、榮枝法印寺院を芹澤村へ移す、同年此本尊を何もの, 利盆頼みあり、後生善處の引接うたろひなし、然に平氏沒落の砌、重盛公の, ち、彼寺震動する事幾度といふ數をしらす、ある時彼寺の童子俄に身振ひ, し〓、口走ていりく、我はこれ三尊の彌〓也、我をはやく萬福寺へか〓すへ, ふてゝ、重盛公の御骨を彼寺に納め、出家となり、法名以典と改めそれより, 本尊をもり出し、菩提をとはゝやとおもひ、此本尊をぬかくかくし置、若都, 傳和尚其所の太守に心をありせ、彼草堂を取立、一院を建立し、萬福寺と號, ちかくに安置し奉らは、亂世の時なれは、燒失せんことをかなしみ、はる〻, とけ訖ぬ、其後此本尊草堂の内に幾久しく星箱をおくり、寛正五年甲申、忠, 榮枝芹澤, 寺ヲ建ツ, 忠傳萬福, 村ニ移ス, 永正七年雜載, 四六

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  • 榮枝芹澤
  • 寺ヲ建ツ
  • 忠傳萬福
  • 村ニ移ス

  • 永正七年雜載

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  • 四六

注記 (21)

  • 452,660,68,2183に下總國小見川善應寺にかくし置、然處に小見川におゐて、此三尊光を放
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