『大日本史料』 9編 4 永正9年4月-永正10年12月 p.201

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

八月十三日、伊豆、相模乃勢をもよをし、岡崎乃城に押よせたり、城中つよく, 昔右大將頼朝卿乃御時に、三浦の大介義明乃弟岡崎惡四郎義實か居城と, 森越後守を初として二百よ騎、木戸をひらきて切て出る、寄手の大勢これ, 高く壘塹深ければ、たとひ數万の軍兵ありとも、たやすく責よりかた〓名, 邊に双びなく、光彩門戸に生て、相武兩國の武士來り隨がふ、彼岡崎乃城は、, も湧て峯をさゝぐるかとぞ覺へける、寄手の方より大道寺太郎、荒川又次, 〓さぎ堅く守りて、寄手を打事數しらず、早雲はかり〓を替て責れば、城中, を責おとすといへとも、岡崎の城は、猶管領に屬して守りしかば、いかにも, 田市之助以下の軍兵、力を盡して責たりしかは、城中より佐保田豐後守、大, して岡崎を手に入、相〓一國を平均に取しづめはやと思ひ立て、永正九年, 城なり、然るに北條新九郎入道早雲すでに小田原の城を打とり、大庭乃城, して、三浦乃一族數代持つゞずし所なれは、要害思ふまゝに支度して、墻壁, 術を替てふさきたゝかふ、〓味方乃開の聲に、太山もくづまて海に入、廣原, 郎をさきとして、土肥の富長三郎左衞門、田子の山本太郎左衞門、妻良乃村, に居住し、管領の命にしたかひ、幕下に屬し、相州の中部を知行して、威勢近, 佐保田即, 大森越後, 族累代ノ, 後守, 居城, 岡崎城ハ, 三浦氏, 守, ノ一ハ, 永正九年八月十三日, 二〇一

頭注

  • 佐保田即
  • 大森越後
  • 族累代ノ
  • 後守
  • 居城
  • 岡崎城ハ
  • 三浦氏
  • ノ一ハ

  • 永正九年八月十三日

ノンブル

  • 二〇一

注記 (26)

  • 997,647,69,2195八月十三日、伊豆、相模乃勢をもよをし、岡崎乃城に押よせたり、城中つよく
  • 1694,652,70,2193昔右大將頼朝卿乃御時に、三浦の大介義明乃弟岡崎惡四郎義實か居城と
  • 297,642,72,2199森越後守を初として二百よ騎、木戸をひらきて切て出る、寄手の大勢これ
  • 1459,648,71,2197高く壘塹深ければ、たとひ數万の軍兵ありとも、たやすく責よりかた〓名
  • 1809,653,68,2210邊に双びなく、光彩門戸に生て、相武兩國の武士來り隨がふ、彼岡崎乃城は、
  • 644,646,72,2195も湧て峯をさゝぐるかとぞ覺へける、寄手の方より大道寺太郎、荒川又次
  • 877,648,70,2196〓さぎ堅く守りて、寄手を打事數しらず、早雲はかり〓を替て責れば、城中
  • 1231,651,67,2191を責おとすといへとも、岡崎の城は、猶管領に屬して守りしかば、いかにも
  • 412,647,72,2190田市之助以下の軍兵、力を盡して責たりしかは、城中より佐保田豐後守、大
  • 1112,649,68,2197して岡崎を手に入、相〓一國を平均に取しづめはやと思ひ立て、永正九年
  • 1343,655,71,2192城なり、然るに北條新九郎入道早雲すでに小田原の城を打とり、大庭乃城
  • 1576,653,71,2194して、三浦乃一族數代持つゞずし所なれは、要害思ふまゝに支度して、墻壁
  • 760,647,72,2197術を替てふさきたゝかふ、〓味方乃開の聲に、太山もくづまて海に入、廣原
  • 528,641,74,2201郎をさきとして、土肥の富長三郎左衞門、田子の山本太郎左衞門、妻良乃村
  • 1926,663,68,2182に居住し、管領の命にしたかひ、幕下に屬し、相州の中部を知行して、威勢近
  • 462,289,41,167佐保田即
  • 373,289,43,168大森越後
  • 1792,295,41,160族累代ノ
  • 418,289,38,79後守
  • 1746,295,42,81居城
  • 1879,298,42,155岡崎城ハ
  • 1836,302,39,124三浦氏
  • 332,286,42,37
  • 1796,431,123,29ノ一ハ
  • 209,715,44,381永正九年八月十三日
  • 195,2449,46,106二〇一

類似アイテム