『大日本史料』 9編 4 永正9年4月-永正10年12月 p.202

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カタメニ退去シ、其後三浦ノ新井城ニ居ス、, 城にぞ籠りける、, が術策もそ乃甲斐なく、一二乃木戸を責破られ、寄手飽か上に詰かきしか, 虹を貫ぬき、勇猛また秋霜よりも烈く、兩軍たがひに奮ひ撃て、風乃めくな, 今は叶へからず、一まづ此城を落て、重て軍兵を催し、欝陶を散ずへしとて、, 四方八面にあたつて、追なびき打ひらき、一もつて千に賦り、精氣すてに白, がことく、〓のうずまくに相似たり、され共運のかた多くところ、孫呉李衞, 大將道寸入道を先として、佐保田、大森以下乃兵搦手より落て、同國住吉乃, 崎城へ、北條早雲押寄、急ニ是ヲ攻ム、三浦カ郎等佐保田豐後守以下防戰ス, トイヘ〓叶ハス、道寸搦馬手ヨリ遁出、同國住吉城ニ入ル、彼城モ遂ニ早雲, は、城兵心ばかりはすゝめども、散々に追こまれ、頭をも指出すへき力なし、, を押つゝみて、一人もあまさず打とらんとす、城兵すこしも機をの刀れず、, 〔相州兵亂記〕三義同討死之事, 〔鎌倉九代後記〕政氏, 相州岡崎ノ城主三浦介義同、後ニハ陸奧守入道々寸ト云、文武二道ノ良將, 同九年八月十三日、三浦道寸カ居ス相州岡, 左馬頭、, 成氏男、, 義同新井, 城ニ據ル, 永正九年八月十三日, 二〇二

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  • 左馬頭、
  • 成氏男、

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  • 義同新井
  • 城ニ據ル

  • 永正九年八月十三日

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  • 二〇二

注記 (22)

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