『大日本史料』 9編 6 永正12年是歳-永正14年6月 p.360

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入道し、北條早雲と號す、此早雲相模小田原乃城を、明應乃比ほひのつとり, 高く巖くんそにして、獸もかけりがたし、城の廣さは三十町四方、東一方り, しが叶はずして、同九年八月十三日、城を開退し、同きすみよし乃城にうつ, つか二十間程陸つゝき、是に堀をほり、門一ツ立をきぬ〓ば百萬騎むかふ, 後胤なり、平治乃合戰にをいて、三浦荒次郎義澄は、源氏にくはゝり、軍せし, ちなれは、幾萬騎むかふといへ共叶ひがたし、然共早雲大軍にて、小坪、秋屋, 長坂、黒石、佐原山を打越みだも入、道寸かなはず、父子一所に雜兵二千ほど, にて、三浦新井の城にとて籠る、此城南西北は入海、白波立て岸をあらひ、山, 顯定と大合戰あり、三浦介道寸は、さかみ岡崎の城に有て、早雲ととゝかひ, 事古記に見えとり、然に伊豆乃國に、伊せ新九郎平氏茂と云武士あり、後き, り、年久しく論敵とりしが、鎌倉合戰に、道寸討負敗北す、されとも秋屋の大, 上杉朝良居城同國大庭の城をも責おとす、永正元年九月、早雲と官領上杉, くつれにてさゝへとり、此道は高山くつれて海に入、片岸に道有て、一騎う, 子息荒次郎、彈正少弼義意と云て、父子名をえた〓侍あり、是は大介義明の, といふ共、力ぜめにき成かたし、とゝ是島城也、道寸は至剛智謀兼備せし大, 新井城〓, 義同父子, 籠ル, 永正十三年七月十一日, 三六〇

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  • 新井城〓
  • 義同父子
  • 籠ル

  • 永正十三年七月十一日

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  • 三六〇

注記 (20)

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