『大日本史料』 9編 6 永正12年是歳-永正14年6月 p.363

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義年來の忠功あさろらず、然といへ共、予か運命もつきはて、三年の籠城に, の合戰なれは、父討るれ共子助けば、主うたるれ共從者おち合ず、刀のぼあ, 乃くだとるを限り、死を限りに、天地をひゞかしたゝかふ有樣、修羅道もか, 主從ともに討死し、名を後代にとゞめんは、弓矢とる身の本懷なりと申〓, 最期乃舞の袖、思ひ面らまてあはれなり、道寸諸侍に向ていはく、君臣の禮, れ人の一大事といふは、一期の終りをもてせり、年比日來恩祿を請、かゝな, り、舊君の深恩を忘れ、此一大事を遁、世に生殘りて耻をさらす者や候べき, れば、諸卒是を聞、御返答よく申とりと、をの〳〵心ざしを一ツにし、時刻う, 時にひるがへらは、豈仁の道ならん、白氏文集に、君恩雨露のどとしといへ, べし、道寸少も恨みなし、死せんと思ふ人は討死し、後代に名をとゝめよ、道, 寸父子は腹切べし、生涯の對面是まてなり、越後守か云、こは口惜き仰哉、そ, 兵粮つきぬれは力なし、此中にも落んと思ふ人あらは、降人と成て出城す, 舞給へは、彦四郎も同く立て〓れてまふ、實あはれなる一曲かなで、いつの, つさば、門をひらを切て出る、道寸うちりを取て諸卒をいさめ、らふを最期, 世にかは立歸り、又もあひ見ん事なら〓ば、おもひ切とはいひながら、今を, 永正十三年七月十一日, 三六三

  • 永正十三年七月十一日

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  • 三六三

注記 (17)

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