『大日本史料』 9編 11 永正17年4月-永正17年雑載 p.245

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かたし、其内に戰へとて、翌日早朝に殘り留りたる七十餘人の勢を以て、數千の播州勢, の中へ一文字に打て懸り、忽に追崩し、勝鬨をあけて引取けれは、其勢ひを見て、落散, を出て、同八日、作州飯岡原に至り、小寺加賀守と戰ひ、和泉守、小寺を追て河水に追込、, けるか、播州勢日を追て大勢かさみけり、是を見て見恐やしたりけん、三石勢一夜の中, 助けて宇喜多を討んとす、三石に是を聞て、浦上村宗みつから二千五百人を帥ひて作〓, へ出て、岩山の南に陳をとり、播州勢と對陳す、宇喜多も村宗の陳と一つに成りて陳し, に落失せて、纔に七十餘人殘りたりける、時に宇喜多和泉守、是を敵に見透されては叶, 數十人を討取、河を隔て陳を張る、小鹽に又是を聞、大勢を集て作〓へ出張て、小寺を, 〓又作州の壘に、中村五郎、村宗に屬してありけるを、小寺加賀守範職をやりて是を, 中に、中務丞と申人、これは下野守村秀の弟にて候、城衆とこゝろを合て、十月六日寄, 手をうち破り、小寺加賀守同子とも三人不叶自害、白籏ゟ御屋形にあら〳〵にて御歸陣, 〔備前軍記〕乾小寺と宇喜多作〓合戰の事, 候、, 攻れは、三石よりこれをすくはんと、宇喜多和泉守に二千餘騎を付て、七月三日に三石, 略, ○上, シテ出陣セ, 村宗能家ヲ, 人自害, 則職父子一三, シム, 永正十七年十月六日, 二四五

割注

  • ○上

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  • シテ出陣セ
  • 村宗能家ヲ
  • 人自害
  • 則職父子一三
  • シム

  • 永正十七年十月六日

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  • 二四五

注記 (23)

  • 398,608,64,2240かたし、其内に戰へとて、翌日早朝に殘り留りたる七十餘人の勢を以て、數千の播州勢
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