Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
かたし、其内に戰へとて、翌日早朝に殘り留りたる七十餘人の勢を以て、數千の播州勢, の中へ一文字に打て懸り、忽に追崩し、勝鬨をあけて引取けれは、其勢ひを見て、落散, を出て、同八日、作州飯岡原に至り、小寺加賀守と戰ひ、和泉守、小寺を追て河水に追込、, けるか、播州勢日を追て大勢かさみけり、是を見て見恐やしたりけん、三石勢一夜の中, 助けて宇喜多を討んとす、三石に是を聞て、浦上村宗みつから二千五百人を帥ひて作〓, へ出て、岩山の南に陳をとり、播州勢と對陳す、宇喜多も村宗の陳と一つに成りて陳し, に落失せて、纔に七十餘人殘りたりける、時に宇喜多和泉守、是を敵に見透されては叶, 數十人を討取、河を隔て陳を張る、小鹽に又是を聞、大勢を集て作〓へ出張て、小寺を, 〓又作州の壘に、中村五郎、村宗に屬してありけるを、小寺加賀守範職をやりて是を, 中に、中務丞と申人、これは下野守村秀の弟にて候、城衆とこゝろを合て、十月六日寄, 手をうち破り、小寺加賀守同子とも三人不叶自害、白籏ゟ御屋形にあら〳〵にて御歸陣, 〔備前軍記〕乾小寺と宇喜多作〓合戰の事, 候、, 攻れは、三石よりこれをすくはんと、宇喜多和泉守に二千餘騎を付て、七月三日に三石, 略, ○上, シテ出陣セ, 村宗能家ヲ, 人自害, 則職父子一三, シム, 永正十七年十月六日, 二四五
割注
- 略
- ○上
頭注
- シテ出陣セ
- 村宗能家ヲ
- 人自害
- 則職父子一三
- シム
柱
- 永正十七年十月六日
ノンブル
- 二四五
注記 (23)
- 398,608,64,2240かたし、其内に戰へとて、翌日早朝に殘り留りたる七十餘人の勢を以て、數千の播州勢
- 283,608,61,2235の中へ一文字に打て懸り、忽に追崩し、勝鬨をあけて引取けれは、其勢ひを見て、落散
- 1093,608,61,2244を出て、同八日、作州飯岡原に至り、小寺加賀守と戰ひ、和泉守、小寺を追て河水に追込、
- 632,606,63,2241けるか、播州勢日を追て大勢かさみけり、是を見て見恐やしたりけん、三石勢一夜の中
- 862,606,64,2250助けて宇喜多を討んとす、三石に是を聞て、浦上村宗みつから二千五百人を帥ひて作〓
- 749,621,61,2231へ出て、岩山の南に陳をとり、播州勢と對陳す、宇喜多も村宗の陳と一つに成りて陳し
- 517,607,63,2241に落失せて、纔に七十餘人殘りたりける、時に宇喜多和泉守、是を敵に見透されては叶
- 978,607,62,2245數十人を討取、河を隔て陳を張る、小鹽に又是を聞、大勢を集て作〓へ出張て、小寺を
- 1325,675,66,2178〓又作州の壘に、中村五郎、村宗に屬してありけるを、小寺加賀守範職をやりて是を
- 1787,610,66,2246中に、中務丞と申人、これは下野守村秀の弟にて候、城衆とこゝろを合て、十月六日寄
- 1672,610,66,2247手をうち破り、小寺加賀守同子とも三人不叶自害、白籏ゟ御屋形にあら〳〵にて御歸陣
- 1436,595,81,1193〔備前軍記〕乾小寺と宇喜多作〓合戰の事
- 1565,608,56,79候、
- 1209,604,62,2251攻れは、三石よりこれをすくはんと、宇喜多和泉守に二千餘騎を付て、七月三日に三石
- 1313,605,40,39略
- 1359,605,42,86○上
- 1180,232,40,207シテ出陣セ
- 1225,226,43,213村宗能家ヲ
- 1649,234,39,128人自害
- 1693,230,43,216則職父子一三
- 1142,234,29,70シム
- 186,711,44,392永正十七年十月六日
- 183,2372,46,122二四五







