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すと、九月半、鈴木何某を阿州へ下して此趣をそ牒しける、然る所に、徳川宰相卿長久手, 許諾被成、同三月十三日、清洲に至り、信雄卿に會し、犬山・羽黒に於て御合戰有、, さりけり、其後湊・雜賀の者共打寄評しけるは、近年は、我々長宗我部の旗下に屬せし, 田に陳し給ふ、爰に紀〓根來・雜賀の法師等是を聞て、幸の〓を得たりと悦、俄に兵を, にやますと聞ゆる、其弊に乘て、重て大軍を催し責上るならは、かたすと云事有へから, 小牧山に陳城を搆へ、其外所々に要害を設け、互に御對陣、羽柴殿は十六万餘騎にて樂, 起、大坂へ討出んと、二手に別れ、一手は船にて境表へ働、一手は岸和田へそ押寄け, 物を、法師達の血氣にひかれ麁忽の軍したる事こそ越度なれ、秀吉東國の軍月を越て今, 須賀小六家政・赤松下野守・明石左近・生駒雅樂頭・黒田兵庫を添番として遣し置れけ, 守殿と不和の儀起り、既に合戰に及ひ、尾州ゟ三州へ加勢を乞給へは、宰相中將家康卿, 事なれは、四國勢を催し、當國勢と一つに成、攻上るものならは、不覺の負はすましき, る、羽柴殿凶徒の押へとして中村式部少輔を岸和田の城に指置れ、黒田吉兵衞長政・蜂, る程に、此人々出向て大きに戰しかは、凶徒等忽討負、散々に成て引退き、堅く守て出, 卿御感有て、御書を成給ふ、後に彼軍の次第を尋聞は、尾州北畠中將信雄卿と羽柴筑前, 湊雜賀ノ衆, 根來雜賀ノ, 衆堺岸和田, 屬ス, 近年元親二, ヲ壟ノ, 天正十二年十一月是月, 二六一
頭注
- 湊雜賀ノ衆
- 根來雜賀ノ
- 衆堺岸和田
- 屬ス
- 近年元親二
- ヲ壟ノ
柱
- 天正十二年十一月是月
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- 二六一
注記 (22)
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