『大日本史料』 9編 13 大永元年5月-大永元年12月 p.337

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息をも次つ戰ける、劔戟の打合光は百千のいなつまのことし、軍勢の戰音は千らいの響, 内の者とも三百人、大勢の中に破て入戰ける、寄手不恊とやおもひ、常隆の旗本まて, 二重に堀て、壁をぬり、櫓を揚、射手を前せ待かけたり、籠所の士卒は宗隆より代々相, ものもおゝかりけれは、櫓の上にて此有樣を見て、とつと笑ひて切て出る、かたきこら, 守・熊田源兵衞・岡太郎左衞門尉・芝井駿河〓、あまさしと貳百餘騎か眞中に破て入、, 勢ひなり、此城をはかこみをとひて、大將資房の居城を可被責、大將亡則こは殘黨不全、, りけれは、櫓見すまして、能時分そ者ともとて、炭の火を箕といふ器にかきいれて、〓の, 引退く、寄手の中より鹿沼伏楯葉七郎左衞門、足輕貳百餘人相隨ひついてかゝる、出雲, 上になけかくれは、鎧の引合に火入てそふとうするも有、またはい眼に入て途にまよふ, 難通、大松はすき間もなく、前は深田、弓手めては逆茂木に大木をひしと引渡し、堀を, 所に、宇都宮・岩城の兩勢一手に成て責入り、上か上に重て、櫓の下の屏を引破て込い, 某殿仕らんと申れとも、諸將道心せさせ給はねは不及力、此儀も空しくなりにける、然, へかねて本陣に引退く、是楠多門兵衞か熱鐵を〓になけかけ、燒亡せし計略なり、城の, 傳の士なり、儀を重く仕、命をちんかいの〓くし、名を惜み、城をまくらにせんと思ふ, 大永元年十一月四日, 三三七

  • 大永元年十一月四日

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  • 三三七

注記 (16)

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