『大日本史料』 9編 26 大永4年正月-大永4年3月 p.19

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又むさし野に忍か岡といふ所ありともいふ、しかれとも忍か岡占き名所なれは、いつれ, 出るも、又此戰に氏綱一ツ木にて自實了檢せしとあるハ、赤坂に今一ツ木といふ所あり、, 是も古き地名のよしなれは、路次も尤に覽ゆと也、, か非ならん、ある人の曰、むさし野の出城ならは、上野の地にてもあらんか、品川へ押, 〔江戸砂子〕, 入て、忍か岡の城には遠山四郎左衞門をこめ置と也、此忍か岡は今の上野なりといふ、, 氏綱續て城に押し詰る、朝興(こらえかね、其夜のうちに河越の城に落る、氏綱翌立日城に, 郎反逆して、小田原に通し、相圖を定む、北條氏綱、一萬五千餘兵を率て武藏野の城に, おしよする、城主朝興(八千餘兵にて品川まておし出相戰ふ、つゐにうち負て引かへす、, 一同川越ノ城ハ入間郡三士口野里、太田道信繩張、道信ハ上杉朝定ノ先祖之家臣、大永四, 忍か岡は占城なりといへり、大永四年田卅正月、上杉朝興の家也大田源六郎・舌弟源一1, 伏見宮貞敦親王、三條西實隆二物ヲ賜フ、尋デ、實隆、親, 年、朝定江戸城沒落之後、此城居城、, 大水四年正月十三日、城主官領上杉修理大○朝興(る城、北條氏綱攻之に落城、氏經在住, 十四日、, ○下, 豐郡峽田領八東叡山〓永寸圓頓〓, 辰, 〓, 1三, 烙, 大永四年正月十四日, 一九

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  • ○下
  • 豐郡峽田領八東叡山〓永寸圓頓〓
  • 1三

  • 大永四年正月十四日

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  • 一九

注記 (23)

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