『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.621

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師を助け給はんことを、アーメン、, 支那の帆船日本に到著せし以來, が故に、右の庶子、父の家及び財産を繼承すべしと想像せらる、平戸には、パ, 領内に於て最も信用あり、其性質良き爲め、諸人より愛せられたる者此中, に在り、老王の孫なる嗣子は癩病にして、其父も亦此病に依りて死したる, 苦の増すに從ひ、喜んで彼に仕ふる者に、力を加へ給へり、主其手を以て貴, ードレ一人及びイルマンありて、多數の會堂を管理せるが故に、大に勞苦, スの書翰, せり、殊に現今戰爭多きを以て、何事も甚だ困難なり、然れ共、我等の主は、勞, 八十人をキリシタンとなしたり、五島の領主の庶子年齡二十三歳にして, 一五六八年十月四日, ジョと稱するパードレ渡來せしこと、及び、司教のパードレ、マカオ港に到, せず、豐後のイルマン・ギリエルメより、同船にてアレッサンドロ・バラレッ, 附、堺發パードレ・ルイス・フロイ, 四五ケ月なるが。予は今日まで書翰又はコンパニヤの通信に接, 月十四日ニ當ル, ○永祿十一年九, 港セルハ、六月二十六日ニシテ永祿十一, ○ポルトガル船ノ、まかおヨリ福田ニ入, 年六月二, 日ニ當ル, 平戸ノ状, じよ渡來, ばられっ, 況, 永祿十一年是歳, 六二一

割注

  • 月十四日ニ當ル
  • ○永祿十一年九
  • 港セルハ、六月二十六日ニシテ永祿十一
  • ○ポルトガル船ノ、まかおヨリ福田ニ入
  • 年六月二
  • 日ニ當ル

頭注

  • 平戸ノ状
  • じよ渡來
  • ばられっ

  • 永祿十一年是歳

ノンブル

  • 六二一

注記 (27)

  • 1120,654,56,1004師を助け給はんことを、アーメン、
  • 651,650,59,988支那の帆船日本に到著せし以來
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